2023年4月 御命日勤行・講話 厳修

4月28日(金)10時40分より、4月の「親鸞聖人御命日勤行」を本学講堂において厳修しました。
勤行は、学長の調声のもと『正信偈』を唱和しました。その後、学生2名が感話を、東舘紹見教授が講話を行いました。

「感話」及び「講話」で話された概要を、以下のとおりご紹介します。

学生による感話の概要

  • 学生による感話の様子

    テーマ:私にとっての親鸞聖人

    今年は親鸞聖人御誕生850年、立教開宗800年の節目の年であり、それを記念して本山をはじめ様々な場所でいろいろな催しが開かれています。その中でも親鸞聖人御誕生850年を記念した展覧会(京都国立博物館で開催されている親鸞展)では、親鸞聖人直筆の書物をはじめとして、普段は見ることができない特別なものがたくさん公開されていました。それらを見ていると、親鸞聖人は本当に生きていらっしゃったのだと実感することができました。普段から真宗について学んでいますが、その内容の難しさから親鸞聖人は本当に実在されたのかと疑問に思うことがあります。しかし、親鸞聖人ゆかりのものや、実際に親鸞聖人が訪れた場所に行ってみると、本当にこの日本に生きていらっしゃったのだと実感することができ、そう思うと真宗はすごく身近なものに感じました。

  • 学生による感話の様子

    テーマ:大谷大学での学び

    ゼミの中で、若者のインターネットを介したコミュニケーションについて研究しています。現在の若者は1人1台スマートフォンを持ち、様々なツールを使いこなして新たな人間関係を構築しています。また、ここ数年は新型コロナウイルスの影響により、学校に通うことなく授業を受けることができ、社会人は会社に出向くことなく働くことができました。このように変化を続けるインターネットの新しいコミュニケーションの可能性について、今後考察していきたいです。    
    一方、ネット上での誹謗中傷は、現在大きな問題として挙げられています。ネット上は匿名性が高く、自分が絶対的な正義だと思い込み他人を責めてしまいます。そのような中、私は人間学で学んだ「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり」という親鸞聖人の言葉が印象に残っています。前後の文脈から、この世界には常に変わらないものはなく、移り変わる中で絶対的な善や悪は存在しないのだと解釈しています。どんなことに対しても私たちは善悪の判断をしますが、そのようなときに一度立ち止まって、自分の価値観を問い直せる人間になることが社会を生き抜くうえで必要となるのではないかと考えています。

本学教員による講話の概要

歴史・仏教・仏教史 -「真実」と「現実」-

文学部歴史学科 東舘 紹見 教授

東舘紹見教授による講話の様子
東舘紹見教授による講話の様子

「歴史」には、物事が変化する「事実」の面と、それを語る「叙述」の面がある。そしてこの二面が、「客観性」と「主体性」という、歴史学、学問にとって大切な要素に関わるとし、「主体」を通した見解の表明の大切さの話がありました。また、「歴史の叙述」について、一見進歩がない戦いを繰り返す歴史も、「どうすれば「本当に共に幸せ」になれるか模索してきた歩み」とし得るのではないか、ただそれが真に他者と共に幸せになろうとするものか、自分中心な幸せを他者に押し付けるものかの境が不明瞭だったのではないかと述べられました。以上を受け、次に「仏教」の考え方を示されました。それは「自己中心的な心にこだわる限り、苦しか生じない」というもので、こうした真実を自己中心的思いが渦巻く現実(世間)で解くことを釈尊が躊躇したが、インドの最高神がそれを解くように勧め、真実が解かれたことを確かめられました。
最後に、自己中心的な人間の現実において真実が説かれることは、それが常に誤解され続けるということでもあり、それが「仏教史」の間違いない一面であること、しかし、そうした悲しい現実を単に間違いとしてしまうのではなく、そこに現実を求め苦闘してきた人間の尊い歩みを見るべきではないか、そうした視点が仏教史、歴史を学ぶ上で大切であると講話を締めくくられました。

新型コロナウイルスによる感染状況に鑑み、入場者を学生及び教職員の学内者のみに限定し、感染防止対策を講じたうえで執り行いました。 
【総務課】