ナゼナニ探究部
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InstagramのストーリーズやBeRealなど、24時間で消える投稿が、若い世代に人気です。
「残らない」のに、いえ「残らない」からこそ、なぜかこころを惹かれる。
そのわけをたどると、約800年前の僧・親鸞(しんらん)が大切にした「無常(むじょう)」、つまり「全ては移り変わっていく」という考え方にたどり着きます。
なぜ、消える投稿は人気なのでしょうか。一つは「今しか見られない」という点です。「あとで見よう」と思っているうちに、結局見ないまま終わってしまう。消えるとわかっているからこそ「今のうちに見ておこう」という気持ちになるのです。
もう一つは「残したくない」という気持ちです。友達の華やかな投稿を見ると、なんだか焦ってしまう。自分もよく見せようと頑張るうちに、見る側も出す側も少しずつ疲れていきます。しかも、昔の投稿がずっと残るのはちょっと不安。だからこそ、知っている人にだけ、一瞬だけ、等身大の飾らない自分を見せられる「消える投稿」に、ほっとできるのかもしれません。
この「一瞬を大切にする」気持ちを、親鸞ははるか昔にもっと強く感じていました。
9歳でお坊さんになるとき、夜おそかったので「出家の儀式は明日にしよう」と言われた親鸞は、こんな歌をよんだと伝えられています。
明日ありと思う心のあだ桜
夜半(よわ)に嵐のふかぬものかは
見頃の桜も、明日また咲いていると思って見ずにいると、夜の嵐で散ってしまうかもしれない。命も同じで、明日がある保証はない。だから今すぐに、と願ったのです。
この頃の京都は大きな飢饉におそわれ、昨日まで元気だと思っていた人が次々に亡くなる厳しい時代でした。「明日でいい」と思っていた、その明日が来ないかもしれない…。そんな経験が、親鸞の「今」を見つめる目をつくったのではないでしょうか。
親鸞のことばを伝える『歎異抄(たんにしょう)』には、この世のことは全て「そらごと・たわごと」だという一節があります。「そらごと・たわごと」とは「でたらめやいい加減なこと」を意味し、ずっと変わらない確かなものなどこの世界には一つもない、という見方です。
私たちはつい、自分の思い通りになりさえすれば幸せだと思い、この現実世界が「絶対」なものだと錯覚して生きています。けれど、農家の人にとっては恵みの雨でも、旅行するときには迷惑な雨になるように、善悪の基準でさえ自分の都合でころころ変わってしまう。親鸞は、そんな私たちの危うい姿を「そらごと・たわごと」と見抜いたのでしょう。
では、消えていくSNSと親鸞の考えは、どこかでつながっているのでしょうか。「一瞬の大切さを共有する」という点では、たしかに通じています。
ここで少し考えてみたいことがあります。「記録」と「記憶」どちらを大切にしているだろう、と。スマホで撮った写真の多くを、あとで見返さず「撮ったことで満足」していないでしょうか。きれいな景色の前でも、撮ることに気をとられ、目の前の「今」をちゃんと見ていない。そんな経験はだれにでもあるはずです。
でも旅先で「ここでしか食べられない」と言われた料理を、これが最後かもしれないと思って味わうと不思議とおいしく感じ、その場の空気までこころに残ります。「いつでも食べられる」と思えばその出あいは軽くなりますが「一度きりかも」と思えたとき、一回の食事も、その出あいも、ぐっと豊かなものに変わるのです。
大切な人ほど「いつでも会える」「またそのうち話せる」と思ってしまうものです。けれど、その「またそのうち」が、来なくなることがあります。急な知らせを受けて病院に駆けつけたときには、もう一言もことばを交わすことができなかった——。「もっと話をしておけばよかった」「聞いておきたいことが、たくさんあったのに」。そんな後悔が、何年たっても消えずに残る。そういう経験をした人は、けっして少なくありません。
親鸞の『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』という書物には、こんなことばがあります。
願わくは深く無常を念じて
いたずらに後悔をのこすことなかれ
私たちはだれもが、先のことはわからない毎日を生きています。だからこそ、移り変わっていくという事実を胸に刻み、後悔を残さない日々を重ねることの大切さが説かれています。この後悔が教えてくれるのは「会えるうちに会う。伝えられるうちに伝える」ということ。大切なのは、後悔を抱えたまま止まってしまうことではなく、そこで気づいたことを今日から行動に移していくことです。
現代は、AIが何でも答えてくれる時代になりました。でも便利になればなるほど、自分で考えることや人と直接会うことは減っていきます。そんな今こそ大切なのが「これで本当にいいのかな」「なぜだろう」と問う力です。AIは答えを出すのは得意でも「問う」ことは人にしかできません。そして、問うだけで終わらせず、その問いをもったまま動き出すことが、これからを生きる力になります。
消える投稿という新しい話題も、たどれば「今を大切に生きる」という、800年前からの問いにつながっています。目の前の一瞬や一つひとつの出あいの意味を問いながら踏み出してみる。その一歩が、毎日の景色を変えていくのかもしれません。
消える投稿が人気なのは「今しか見られない」「等身大のままで出あいたい」という気持ちがあるから。これは、約800年前に親鸞が見つめた「無常」の感覚と、どこかで通じあっています。明日どうなるかもわからない移りゆく命だからこそ、記録すること以上に、一瞬の輝きをこころに記憶したいものです。


お話しいただいたのは…
文学部 真宗学科
本明 義樹 准教授
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