楽しく生きるとは

よく「死ぬ時に『あぁ、楽しかった』と言いそうですよね」と評される。特に学生からそう言われると、とても嬉しい。現代の日本では死を考える事は縁起が悪いと避けられがちだが、それをタブーと思わない学生の柔軟な発想が嬉しい。そして、人生は暗く辛く耐え難い痛みに満ちているだけのように語られがちだが、そうではないように見える生き方を見せられている事が嬉しい。実態はともかく。

楽しく生きるという事は、言い換えれば、自分の機嫌を自分で取る事である。私は「美しいもの」を探す事にしている。

1990年代前半の、まだご家庭にインターネットが普及していなかった頃。某研究所で、World Wide Webなる技術が話題に上った。既に利用した友人のナビゲートのもと、NASAにアクセスした。当時、たった1枚の地球の写真のダウンロードに、30分はかかった。その間、くだらない雑談に笑い転げた。ダウンロードが終わり、大きなディスプレイに映し出された地球は、その場が静まり返り、呼吸を忘れるほどに美しかった。今や、様々に美しい高精細画像が瞬時に、ほぼ見放題で提供される。それにアクセスするかどうかは、人間次第。

実体験至上主義の方は、旅行でも同じように息を飲む瞬間を味わえる。降るような星空、天の川に南十字星。雲海を見下ろす高い山。今は無理だけど。

しかし、美を見つけるには、本当はそんな「特別な経験」は不要である。我が師匠は「一日に二つは美しいものを探せ」と言われた。日常に潜む美を見つけろ、という事である。同じ内容は、別の表現だが平安時代にすでに書かれている。「春はあけぼの」から始まる『枕草子』である。美は遍在するが、その発見は人間の意思にかかっている。

新型コロナウイルス禍のなか、不自由さはまだまだ続くと思われる。それでも、出来る事は、ある。自分の身近な美を愛でることから始めよう!

PROFILEプロフィール

  • 柴田 みゆき 教授

    【専門分野】
    情報処理学

    【研究領域・テーマ】
    ユーザー・インタフェース/系図/知的財産権