〈普通〉の大学生活とは

新型コロナウイルス感染症の影響下で過ごすようになって早くも三年が経とうとしている。大谷大学はオンライン授業をおこなう期間がなるべく短くなるように舵を切った大学であったが、それでも学生たちの大学生活には変化があった。大規模な宴会は姿を消した。サークル活動も小さな部室に部員がひしめき合っておこなうような活動はいまだに禁止されている。
 
そんな学生たちを見て「かわいそうに」と漏らす大人たちの声に、ふと違和感、いや既視感を覚える。その既視感はどこから来るかというと、私が大学生だった頃の記憶だ。
 
私が大学に入学した20世紀の終わり頃にはすでに日本の経済バブルははじけていた。その前の1980年代には「女子大生ブーム」なる風潮があり、ブランド物を身につけて景気よく遊ぶ大学生がテレビや雑誌に映し出されていて、小学生だった私はぼんやりそれを眺めていた。でも自分が大学に入ったときにはそんな風景は残されていなかった。大学の教員たちは自分が大学生だった時に体験した景気の良い話をしきりに私たちに語った。……さて、そんな「今はもうないがかつて存在した大学生活」を聞かされて当時どう感じていたかというと、かつてあったらしい大学生活とやらは体験したことがないので実感がわかないというのが正直なところであった。確かに高時給アルバイトの話などは羨ましかったが、すでに自分たちなりに大学生活を営んでいたので、昔と比べられてもなぁ、という気持ちであった。
 
人は自分が体験したことや先に見たものごとが〈普通〉で、そこから外れると〈異常〉だと思い込みがちだ。しかしその〈普通〉は極めて限定的な条件下で達成されるものであったのかもしれない。今の学生たちだって自分たちなりの大学生活を模索していて、それが彼らの〈普通〉なのだ。

PROFILEプロフィール

  • 安藤 香苗 講師

    【専門分野】
    国文学(近代文学)

    【研究領域・テーマ】
    明治期の文学/泉鏡花/文体論