2024年度「大学報恩講並びに歴代講師謝徳法要」厳修

勤行の様子
勤行の様子

11月23日(土)午前10時より、本学講堂において大学報恩講並びに歴代講師謝徳法要を厳修しました。

宗祖親鸞聖人の御影と初代講師 慧空上人の軸が掲げられた講堂で、教職員・学生が出仕し、学長の調声のもと、『正信偈(真四句目下)』を唱和して報恩講を厳修した後、引き続き歴代講師謝徳法要では『佛説阿彌陀経』の読経の中、来賓をはじめ、教職員並びに学生の代表者が焼香しました。その後、学長挨拶に続き、兵藤一夫 氏(大谷大学名誉教授)による記念講演を拝聴いたしました。

「学長挨拶」及び「記念講演」を以下の通りご紹介します。

学長挨拶

一楽学長による挨拶

一楽学長は、「報恩講は、親鸞聖人の祥月の御命日を縁として、改めて教えに尋ねていく日である。「報恩」と言うが、親鸞聖人御自身が、先達にいただいた教えや導きに対して、報恩謝徳の一生を送られた方である。また、親鸞聖人は、35歳で流罪に遭い、「愚禿釈親鸞」と名乗り、人間の危うさや愚かさを90歳で生涯を終えるまで常に問い続けておられた。私たちは、自分のものの見方で人を敵か味方か判断してしまうことがあるが、それが本当に正しいのか、本当に大切なことは何であるのかを、報恩講を縁として、問い直す機会としてほしい」と述べました。

記念講演

仏教を学ぶということ

兵藤一夫名誉教授による記念講演

兵藤先生は、「仏教は、私たちが生まれて死ぬまでの営みの中で、”生老病死”に代表されるようなさまざまな苦しみというものに出会うが、それらの苦しみを断ずるために、その原因を探っていき、その根本原因は「すべての存在や現象は無常であり、無我である」という真理を知らないこと(無明)であることを教える。仏教を学ぶとは、その教えを自分自身で確かめて、自らが自らの苦しみを断ずることである」と述べられました。

また、「苦しみの原因を自ら確かめていく中で、いかに自我に執われて、ものを見たり聞いたりしながら、当たり前のようにそれらをもとに生きていたということが見えてくる。そのように、私たちが真実を知らないことに気づかされ、それが苦の原因ともなっていることをより深く確証することによって、仏教でいう「真理」に出会っていく。これが”仏教を学ぶということ”である」とご教示いただきました。

 法要終了後、学内食堂に会場を移して、あずき粥のお斎を、参列の方々に召しあがっていただきました。   
                                                      【総務課】

参考/歴代講師

講師職は、東本願寺(真宗大谷派)の教育機関である学寮における最高責任者でした。学寮長であると同時に、学頭として学事一切を司り、安居の本講を担当しました。学寮に初代講師職が置かれた正徳5年(1715)から明治40年(1907)に廃止されるまでの約190年間、講師職は27人を数え、これらの方々を、後の学階条例による講師と区別して歴代講師といいます。