2026年4月 御命日勤行・講話 厳修

4月28日(火)10時40分より、4月の「親鸞聖人御命日勤行」を本学講堂において厳修しました。
勤行は、学長の調声のもと『正信偈』を唱和しました。その後、学生が感話を、村山 保史教授が講話を行いました。

「感話」及び「講話」で話された概要を、以下のとおりご紹介します。

学生による感話

  • 大谷大学での学び

    大学を通して、年齢や出身、過ごしてきた環境が違う人たちと出会えるのは奇跡というか、そういったことを考えると、とても不思議に感じています。なんとなく過ごしてきた大学生活も気づいたらあと1年を切ってしまい、これまで楽しく学べたのは、友人たちと共に過ごし共に学び合えたから楽しかったかなと感じています。その出会いや環境が意外と当たり前のように感じながらも、本当は当たり前じゃないということに、改めて今この第4学年になって気づかされています。人との関わりや出会いを通して、自分の思いや考えに気づかされる自分に気づく、これが大谷大学で学んできたことか、と私は最終的に考えています。共に学ぶことを卒業までにもっと大切にし、あと1年間頑張りたいと思います。

  • 大谷大学での学び

    2025年度のインド研修で訪れたラシュトラパティ・バワン(大統領官邸)のホールで見たブッダ像が特に強く印象に残っています。この仏像は、宗教などを超えて共有される倫理や価値を象徴していると感じました。仏教が対象としている課題は、宗教や国家といった枠組みを超えて、人として問われるべき問題であると言えるのではないか。仏教を研究するということは、非常に大きなものと向き合い、それを学問として取り扱い、それを引き受けていることの重大さを感じました。今回の経験は、私たちが仏教の何を受け継ぎ、本来何を課題としているのかという問いかけを、改めて突きつけられた経験でした。そして、仏教を研究対象とするということは、どういったことかを今後とも問い続ける必要があると思いました。

本学教員による講話の概要

フェノロサと仏教

文学部哲学科 村山 保史 教授

村山保史教授による講話の様子
村山保史教授による講話の様子

村山先生の講話は、長く日本美術とりわけ仏教美術の評価者として知られ、なぜか哲学者としては知られてこなかったアーネスト・フェノロサと仏教との関係について考えようとするものでした。そのためにまず、フェノロサの経歴として、フェノロサの複雑な家庭環境、生まれ育ったセーラムという町で起こったクリスチャンによる魔女裁判、哲学に憧れて入学したハーバード大学での哲学の学び、優秀な成績で卒業しつつもスペイン移民の子であったことから極度の就職難に陥ったこと、東京大学教師時代、日本美術への関心、仏教への改宗、ロンドンで客死したことについてお話しされました。続いて、青年期のフェノロサの思想の特徴として、人間に本質的な二元性を認めてこの二元性は紆余曲折を経ながらもいずれひとつの原理(不可知なもの)によって統合されるとすること、統合が果たされるのは芸術とりわけ仏教美術における原理の(人格化を介した)象徴化によるとすることをお話しされました。最後にこうしたフェノロサの経歴と思想を踏まえたうえで彼のアイデンティティ形成と仏教とのかかわりについてまとめられ、第一に、フェノロサは仏教美術に没頭して狩野派から一代狩野姓を得ることになり、仏教思想にも関心をもつことで受戒して法名を得ましたが、これはアメリカでは根のなかったフェノロサが仏教と関係することでアイデンティティを形成することであったとともに、二つの意味で生まれながらの基礎(ホーム)を喪失したことであった。つまり、若い頃からの思想的基盤であった哲学(哲学教育、東京大学哲学科)を放棄したことであり、故郷セーラムと疎遠になることでもあったのではないか、と講話を締めくくられました。