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2005年度春季企画展

2005年度春季企画展
「大谷大学のあゆみ -大学の前身・学寮の時代-」

 大谷大学の歴史は、1665(寛文五)年の学寮創設に始まります。すなわち大谷派の末寺子弟の教育機関として東本願寺の別邸渉成園(枳殻邸)内に学寮が設けられたのが最初です。その後学寮は順次施設も整備され、敷地も移転して、1715(正徳五)年に初代講師となった光遠院恵空の時期には学問は特に隆盛となります。その後もさかんな研学の要求に応え、更に高倉魚棚の地に移転して学寮の規則や、講師・嗣講・擬講の講者(教員)制度、監寮・上首・寮司などの職員制度を定め、所化(学生)の指導にあたりました。この学寮は高倉学寮と呼ばれ、明示末年まで存続し重要な役割を果たしました。
 この学寮は近代に入り漸次学校制度に発展し、貫練場・貫練教校と改称してゆきます。さらに1882(明治15)年には名称も大学寮と改め、機構・制度も改編して東本願寺の宗学に加え、広く一般の学問教育をも行い、やがて真宗大学・真宗大谷大学・大谷大学へと発展してゆく基盤となりました。
 一方、明治の日本近代化に際しては、仏教界にも大きな変革が要求され、排仏毀釈の問題や、キリスト教の問題に対応するため、1868(慶応四・明治元)年には高倉学寮の分場として護法場が設けられ、国学・儒学・天学(天文地理)・洋教(キリスト教)の四科が教授されることとなりました。ここで広い教養に基づき仏教を学ぶという、現代にも通じる基本方針が立てられたとも言えます。しかし、改革を喜ばない守旧派の刺客によって、護法場の総管であった闡彰院空覚が暗殺されるという衝撃的事件により護法場は事実上終焉を迎えることとなりました。
 今回の展示では、これら大谷大学の前身である学寮の時代に焦点をあて、【高倉の学寮】【近世宗学の形成】【維新期の護法場】の三つの視点から関係する資料を展示します。大谷大学の歴史だけではなく、近代的教育の前史を見ることにもなろうと思います。

会期 2005年4月5日(火)~23日(土)
休館日 日曜日・月曜日
開館時間 10:00~17:00(入館は16:30まで)
観覧料 200円(一般・大学生) 100円(小・中・高校生)
  ※本館には駐車場がありませんので、
ご来館に際しましては公共交通機関をご利用ください。

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