受験生の方へ

対談記事「人文学とコミュニケーション」

[大谷大学 教授]鷲田 清一 × [小説家]津村 記久子:「人文学とコミュニケーション」をテーマに対談してもらいました。

自然災害や科学技術の進歩に伴い、多様で複雑な社会問題が続出する今、私たち人間のあり方や生き方が問われています。
大谷大学は開学以来「人間学」を理念とする学びを実践し、「人間とは何か」を考え続けてきた大学です。人や社会の未来を見通しにくい状況の中、人文学系の大学で学ぶ意味は何なのか?また大学とはどうあるべき場所なのか?
臨床哲学を提唱し現場で活動する哲学者・鷲田清一さん(大谷大学教授)と、同大学の卒業生で芥川賞作家の津村記久子さんに語り合っていただきました。

※このページに掲載している情報は、公開当時(2012年3月)のものです。

1. 声の大きい人だけが正しいわけではない

— 津村さんは大学生の時に小説を書き始められたそうですね。

津村 大谷大学3年の時です。幼稚園の時から書くのが好きでしたが、20歳になったのを機に、人に見せられる完成した小説を書きたいと思いました。今は土木関係の会社に勤めながら、毎日午前2時ごろから1時間ほど書いています。タイマーをかけて、25分間は何があっても書いて5分間休み、また25分書いて5分休むというやり方を続けています。この方法だとうまく気持ちを切り替えて集中できるんです。

鷲田 津村さんの「ワーカーズ・ダイジェスト」(第28回織田作之助賞)を読みました。強い主張や生命力があるわけでもなく、根掘り葉掘り聞きにくいタイプの主人公がすごく面白かったです。私の専門である哲学では、街なども上から俯瞰するような視点で見るのですが、津村さんの小説の主人公は、街を歩きながら路地に入ったりするなど動きながら見ている。それが本当の街だと思いますし、同じものを見ているのに視点の異なりを感じる物語のディテールに引き込まれました。

津村 ありがとうございます。私が小説で言いたいのは、「声が大きくなくてもいい」ということなんです。声が大きい、つまり主張の強い人の言っていることだけが正しいとは限らないよ、と。ぼそぼそと話すような人が本当のことを言っている場合もありますし、声の大きくない、そんなに前へ前へと進む感じではない主人公によって、それを肯定したいと思っています。

鷲田 私も哲学などの分野における「大声」にずっと抵抗してきましたから、津村さんの言っていることはよくわかります。哲学は、例えば「鉛筆とは何か」といった概念だけでなく、その鉛筆のブランドや芯の濃さといったような細部にも関心を持つべきなんです。そのため私は研究室で考えるのはやめて、問題の起きている現場に出かけていって、その現場の言葉で話そうという「臨床哲学」の運動をずっと続けています。

— 鷲田先生は活動の現場でよく「分かる(理解)」ということについて話しておられますね。

鷲田 私たちは人と話している時、その人が何を言いたいのか、言葉が意味しているものを聞き取り理解しようとします。しかし相手の言っていることが完全には分からなくても納得することもあれば、逆に相手の言うことは分かるが何か納得できないというケースもあります。津村さんの小説でも、頭や言葉で分かるという理解ではなく、自分は受け入れられないが「そうなんだろうな」とか、「そういうのもありだなぁ」というような納得が起きていく。哲学も本当はそういうものだと思います。

津村 理解することをやめて観察に徹すると、すごく楽になります。私も、もっともらしい出会いや経験によって自分が変化していくという物語ではなく、いろいろな些細な出来事の重なり合いの結果、「相性が悪かった」と思うことにしようというような、曖昧な感じを書きたいと思っています。

2. 人を変えようとせず良い点を見つける

— 大谷大学では、どのようなことを学ばれましたか?

津村 世の中には自分と全く違う人間が存在するということ。そして人は違っていて当たり前だということ。違っていることで相手や自分を貶めるのではなく、人と自分が違うことを受け入れて、少しずつ修正しながら生きていくという方法を学びました。また授業を通じて、他人を変えようとするのではなく、相手の良い点や面白い点を見つけることが、生きていることの面白さではないかと感じました。国際文化学科で英米文学を専攻しましたが、他国の文化を否定するのが良くないように、他者を否定するのも良くない。それを大学で学べたことは大きなことだと思いますし、私の小説にも強い影響を与えています。

鷲田 私は「アローン・トゥゲザー (ふたりぼっち)」というジャズの曲が好きなんです。寂しい二人が、そんなに話をするわけでもなく何となくそばにいてという、苦しくない空気がいいんです。コミュニケーションって、お互いの気持ちがわかることだとか、議論していて意見が一致することだとか、何かを共有することのように考えられていますが、私は逆だと思っています。本当のコミュニケーションというのは、同じものを見ていても、この人はこんな風に感じるのかというお互いの差異が、会話などによって微細に分かってくることだと思います。

3. 等身大の言葉で物事の細部に触れる

— 津村さんの作品「ミュージック・ブレス・ユー!!」は高校生が主人公ですね。

津村 中学高校時代は面白いもの、すごいものを見たい時期なんですが、自分に合った何かを見つけるのが難しい。私は中学から音楽に没頭していましたが、そういうシチュエーションを書きたいと思いました。また高校生の時期はクラス内で、すごく「牽制」しあっている気がします。周囲とどこまで同じで、どこまで同じでなくていいのかという窮屈さがあります。そして学校を出て会社に入れば、今度は「効率」重視の世界になります。自分が属している集団とうまくやっていくという段階(高校)と、自分の仕事を効率的に行うという合理性一辺倒の段階(社会)の中間にあるのが大学。そういう意味で、大学の時にしか得られないことが多くあると思います。

鷲田 私たちが出来ることといえば、教壇でモタモタすることぐらい(笑)。哲学を含む人文学とはそういうものなんです。答えなど出ないし、また結論が1時間半で出るような話をしたら、まとまりすぎて逆に学生は胡散臭いと思う。結論が出ないことに真剣に取り組んでいる先生の姿を、「なぜこんなにこだわっているんだろう」という思いで見てくれたら、それでいい。功利性だけで考えてはダメと言葉で言っても通じないですし、世の中にすぐに役立つかどうかわからないものに必死になっている先生たちの姿を見てもらうほうが教育効果はあると思います。

津村 ああでもないこうでもないと考え続けることですね。それをたくさんすり合わせることで、ボヤッと何かが浮かんでくる。そういう贅沢な学びが大谷大学ではできるのではないかと思います。

鷲田 結論の出ないテーマについて、等身大の自分の言葉で、ああでもないこうでもないと「グスグズ考え続ける」大学生になってほしいですね。

プロフィール

PROFILEプロフィール

  • 鷲田 清一(わしだ・きよかず)

    1949年京都市生まれ。研究領域・テーマは現象学/臨床哲学/身体論・他者論。京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。関西大学教授、大阪大学教授、大阪大学大学院文学研究科長・文学部長、大阪大学理事・副学長、大阪大学総長を経て、2011年9月から大谷大学文学部哲学科教授。1989年サントリー学芸賞、2000年桑原武夫学芸賞受賞。04年紫綬褒章受章。12年読売文学賞受賞。

PROFILEプロフィール

  • 津村 記久子(つむら・きくこ)

    1978年大阪府生まれ。大谷大学文学部国際文化学科卒業。2000年4月から会社員。01年初頭から失業。同年末から現在まで、再び会社員。05年「マンイーター」(「君は永遠にそいつらより若い」に改題、ちくま文庫)で太宰治賞を受賞し作家デビュー。08年「ミュージック・ブレス・ユー!!」(角川書店)で野間文芸新人賞、09年「ポトスライムの舟」(講談社)で芥川賞、11年「ワーカーズ・ダイジェスト」(集英社)で織田作之助賞を受賞。