私と本

小学生の頃好きだった本の1つに、三輪裕子『緑色の休み時間——広太のイギリス旅行』がある。英語をまったく話せない広太がイギリスへ行き、そこに移り住んでいた幼馴染みの千里と再会し、ウェールズの古城に住む少年ランダルと友達になって、忘れられない一夏を過ごす物語。本というものは、年月を経てから読み返す時、かつて読んだ時の情景までもがまざまざと蘇ることがある。もちろん、それでもかつてと同じようにその本が好きでいられるかは定かでない。ただ、この本について言えば、私は今も好きと言えるし、そのことを嬉しく思う自分がいる。自分の中に、あの頃大切にしていた何かがまだ生きていると思えるからかもしれない。

その後も忘れられない出会いとなった本はいくつもある。トーマス・マンの「道化者」は衝撃的だった。もし高校生の時に読んでいたら、大学では迷わずドイツ文学を専攻しただろう。小林秀雄の「島木君の思い出」も、心が震えた文章だった。

中学三年生の夏休みも近いある日の夕方、国語の先生に「『罪と罰』って面白いですか。」と尋ねた。返事は一言、「暗くて面白くないよ。」だった。だから、しばらく読まなかった。ずいぶん後になってから実際に読み、悔しく思った。納得できない点もあるが(ソーニャの苦しみがあまり描かれていないこと、そして何よりあの結末)、とにかく面白い。どうしてあんな質問をしてしまったのか、たとえ理解できない個所があったとしても、興味を持ったのだから、素直に読んでみれば良かったのだ。

本だけではないだろう、音楽でも、絵画でも、自分の世界を形作るものとの出会いには、出会うべき時に出会ったとしか言いようのない出会いがある。自分の意思で出会うわけではない、だからこそ、そこに縁を感じる。人との出会いと同じである。

PROFILEプロフィール

  • 髙井 龍 講師

    【専門分野】
    敦煌学

    【研究領域・テーマ】
    敦煌文献/中国仏教文学/中国古写本

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