AI時代における真理探究について

テレビをつけると、毎日のようにAI関連の報道がなされ、またAIに関するCMが放映されています。ニュースのコメンテーターや各国政府の役員が、その是非を沙汰し、AIが、作業能率等を高めることによって人類の未来を明るくすると期待されている一方、IT技術が生活の不可欠なインフラになっている現代において、種々の脅威をももたらすものとして危惧されています。研究会やFD研修会でも、AIの活用法はよく取り上げられていますから、研究教育に携わっている人々にとって重要な課題となっていることも明白です。

しかし、これらの議論で一度も聞いたことのない問題が、『歎異抄』の「後序」に親鸞の言葉として紹介されている文章によって提起されていると思います。現在、生成AIと呼ばれているプログラムの多くは、LLM(大規模言語モデル)によって構成されており、大量のテキストデータを基に、言葉の使用頻度を分析することを通して、問いに対するそれらしい解答を組み立てるようです。

一方、『歎異抄』では、親鸞が次のように語ったと伝えられています。

煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわこと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします。(『真宗聖典』784頁)
 
要するに、迷っている私たちが発する全ての言葉が「空言」「戯言」であって、「南無阿弥陀仏」という言葉以外に、真実を言い当てた人間の語りは全くないと仰っています。そのように考えると、「空言」「戯言」をいくらそれらしい形で並べられたとしても、真理に到達することは不可能ということになります。真理探究におけるAIの活用を検討する際、親鸞のこの視点が非常に重要だと思われます。空言に戯言を重ねることより、我々の生命の実相を言い当てた「真理の一言」(『真宗聖典』221頁)に耳を傾けたいところです。

PROFILEプロフィール

  • マイケル コンウェイ 准教授

    【専門分野】
    真宗学

    【研究領域・テーマ】
    中国浄土教/親鸞思想/近代教学