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きょうのことば

きょうのことば - [2013年06月]

善悪の字しりがおは おおそらごとのかたちなり

「善悪の字しりがおは おおそらごとのかたちなり」
親鸞「正像末和讃」(『真宗聖典』511頁)

 この言葉は、親鸞の和讃の一節です。その全文は次のようなものです。

よしあしの文字をもしらぬひとはみな まことのこころなりけるを
善悪の字しりがおは おおそらごとのかたちなり
(よしあしという文字を知らない人はみんな、真実の心を持った人です。善悪の文字を知ったかぶりして使うのは、かえって大嘘の姿をしているのです。)
 この和讃は、親鸞88歳の時の作です。晩年にかけて著作を何度も書き直して思索を深めた親鸞が、知れば知るほどに「まことのこころ」を見失ってしまうと、自らの姿を戒め、慚愧(ざんぎ)した言葉です。
 私たちは、少しの知識を得れば、すぐ分かったつもりになります。学べば学ぶほど博識になった気になり、他人より偉くなったような気分にもなります。こうしたことは、私たちにありがちなことではないでしょうか。しかし、そのような人の有り様(さま)には、大切な何かが見失われているように思います。

 これは悪いとか、あれは善いなどと知り得た知識によって判断し、分かったつもりになるようなことは、大学における学びにおいても言えることではないでしょうか。大学では、昨日よりも今日、今日よりも明日と、私たちは少しでも知識を獲得し、真理を探求しようと努めています。しかし、人は学べば学ぶほどに、知らず知らずに傲慢(ごうまん)にもなり、何が本当に大切なのかを見失うことがあるのかもしれません。

 同じことは、学び教わる側だけではなく、学び教える側にも言えることではないでしょうか。知識を振り回し、分かった顔をして自己満足している教師と学生の姿は、「まことのこころ」を見失った、まさに「おおそらごとのかたち」でしょう。

 この和讃は、親鸞が自らを省みて述べた短い言葉ですが、真理を求めて学問する者ですら陥る、そんな落とし穴の存在を教え示しているように思います。本気に探求する者だからこそ自らを確かなものと信じて邁進(まいしん)するのでしょう。しかし、それが誰もが賞賛する知的な営みと態度であるがゆえに、余計に気づくことが難しい落とし穴があるのです。

 「まことのこころ」を見失わずに、学び続けること。それは至難(しなん)の業(わざ)かもしれません。それでも、私たちは学び続け、思索しなくてはなりません。悲しいかな、私たちは、それほどに傲慢な存在なのです。そこに、この和讃に込められた親鸞の慚愧と、自らを戒めたこころが感じられるのです。

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