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きょうのことば

きょうのことば - [2010年04月]

ひとは信仰によって激流を渡る。

「ひとは信仰によって激流を渡る。」
『スッタニパータ』(『ブッダのことば』岩波文庫 44頁)

 桜咲く4月は、社会や学校において新たな一歩が踏み出される季節です。大きな希望を抱き、新しい環境で生活を始める人が多いのもこの時期です。みんな順調に船出し、心地良い風を帆に受けて旅を続けていってほしいと思います。とは言っても、時には「荒波」にもまれ、「逆風」や「暴風」に直面することも避けられないのが人生です。そんなときには誰もが苦しみ、不安に襲われ、心細くなります。では、どうやってそれを乗り切っていったらいいのでしょうか。

 上に掲げた言葉は、ブッダの言葉を伝える多くの経典の中でも最古といわれる『スッタニパータ』に出てきます。今から二千五百年ほど昔、インドで悟りを開いたブッダは、ガンジス川の中流域を旅して、人々に苦しみから解放される道を説きました。「激流」という言葉で表されるのは、具体的には雨季に増水したガンジスの危険な流れですが、ここでは人間を溺れさせる苦しみのもとである煩悩の喩えになっています。「激流を渡る」ということは、苦しみに飲み込まれることなく、向こう岸にたどりつくことです。どうしたら溺れずに渡り切れるのかというと、それは「信仰による」とブッダは言います。ここで「信仰」というのは、落ち着いて真実の言葉に耳を傾け、信じることです。

 「溺れる者は藁(わら)をも掴(つか)む」ということわざがありますが、ブッダの言う「信仰」は、「藁を掴む」こととはまったく違います。荒波にもまれ溺れそうになると、人は動揺して近くにある何にでもしがみつきたくなりますが、そういうときこそ強ばった体の力を抜き、信頼できる真実の言葉に耳を澄ませて導かれ、柔軟な自然体で抜手を切っていくべきなのです。

 ブッダの言葉は、苦しんでいるすべての人が信頼することのできる確かな言葉です。それは、二千五百年もの長きにわたり、多くの人々の生きる拠り所となってきました。苦しいとき、悲しいとき、寂しいとき、腹が立つとき、迷うとき、そういうときには立ち止まって肩の力を抜き、素直にブッダの言葉に耳を傾けてみましょう。聞くことを通して不安や疑いが晴れ、再び歩みを続ける希望が湧いてきます。暗い雲の絶え間から陽が差し、まわりの世界が明るくなって、共に旅する先輩や友達の姿も近くに見えてくることでしょう。このように仏教は、苦しんでいる人に力を与えてくれる「希望の宗教」なのです。

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