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きょうのことば

きょうのことば - [2009年03月]

人、世間の愛欲の中に在りて、独り生れ、独り死し、独り去り、独り来る。

「人、世間の愛欲の中に在りて、独り生れ、独り死し、独り去り、独り来る。」
『仏説無量寿経』(『浄土三部経』上 岩波文庫 205頁)

 昨年の秋以来、欲望の際限なき拡大を前提とした資本主義の行き詰まりが誰の目にも明らかになり、市場原理主義がもたらした貧困・格差など社会の歪みが大きな問題になっています。先の見えない深刻な不況の中で、家族・職場・地域社会などが担っていたセーフティーネットの役割が見直され、新しい形の社会的連帯が模索されています。さらに、人間を取り巻く自然環境・生態系を含めた「いのちのつながり」を回復し、皆が「共に生きる」ことのできる新たな社会を築こうという動きも世界に広まりつつあります。

 この「共に生きる」というスローガンは、もともと仏教・福祉・環境保護などの現場を中心に発信されてきたものです。厳しい経済危機をきっかけとしてであれ、それが社会全体に広まっていくのは望ましいことです。しかし、ほんとうにこの理想を人類が共有し、現実のものにしていくことは容易なことではないでしょう。その方途を真剣に考えていく上で、現在の私たちに大切なことを教えているのが、冒頭に掲げた釈尊の言葉です。

 「人は、断ちがたい欲望に支配された世の中に生活している。そこでは生れるのも独り、死ぬのも独りである。どんな境遇に至ろうとも、それを引き受けて生きるのは他ならぬこの身、独りである。」この洞察は、釈尊が人間の生の現実を教えるところに語られています。世俗社会の欲望にまみれている私たちは、群れ集まっても最終的には孤独だと言うのです。「他者を押しのけて貪り、互いに争い傷つけ合い、孤立する不安におびえる自分たち人間のありさまをしっかりと見つめ、そのような生き方を哀しみ傷むことから歩みを始めよ。」釈尊はそう教えているのです。

 多くのいのちが「共に生きる」世界を実現するためには、飽くなき欲望を自覚させ、対立するものの間にも共存できる関係を築かせるような、大いなる智慧の働きが必要です。そのような智慧を分かち合っていく道の第一歩は、孤独な自己の在り方を深く哀しむことなのです。その傷みを感じさせ、「共に生きる」理想の実現に向かって人間を動かすものこそ、宗教がもたらす真実の智慧なのでしょう。

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