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きょうのことば

きょうのことば - [2008年08月]

己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。

「己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。」
『法句経(ダンマパダ)』(『ブッダの真理のことば・感興のことば』 岩波文庫 p.28)

 今からもう63年前のことになりますが、1945(昭和20)年の8月15日、日本の敗戦によって第二次世界大戦が終結しました。終戦直前の8月6日には広島に、9日には長崎に原子爆弾が投下され、「ピカッ、ドーン」と炸裂する一瞬に、信じられないほど多くの生命が奪われました。この大戦を通じて、広島・長崎をはじめ世界各地で数千万という数の人間が殺されました。そのひとりひとりは、私たちと同じように心臓が鼓動し、感覚や感情があり、みんな生きていたのに、人間が起こした戦争という暴力の犠牲になったのです。

 なぜ、このように悲惨なことが起きてしまったのでしょうか。様々な角度から原因を分析し反省することが必要でしょうが、ここでは仏教の立場から、人間の生き方の問題として考えてみましょう。ブッダは、どこまでも非暴力を貫く生き方を説かれました。仏教徒にとって一番大切なルールは「生命を傷つけてはならない。生命を奪ってはならない」(不(ふ)殺生(せっしょう)・アヒンサー)ということです。「ブッダの真理のことば」を伝える『法句経』には次のように説かれています。

すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。(129偈)
すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛(いと)しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。(130偈)
 「己が身にひきくらべて」というのは、暴力によって殺される側に自分の身を置いてみなさいということです。殺される生命の恐怖や苦しみを、自分自身の恐怖や苦しみとして感じ受けとめるなら、殺す側に立つことはありえません。国家や集団が、戦争やテロのような暴力を行使して人を殺すとき、必ず何らかの「正義」の名のもとに自らの行為を正当化しますが、そこには暴力を受けるひとつひとつの生命に「己が身をひきくらべる」思いが欠けています。殺される生命の苦しみや痛みを思い、共感することが、非暴力・不殺生という生き方を貫くための鍵になるのです。

 21世紀に入った今もなお、世界各地で戦争やテロが繰り返され、多くの生命が失われています。その悲しい現実に直面して、私たちがどのように対処すべきかを考えるとき、「苦しみ痛む生命の側に自分の身を置いて考え、行動しなさい」というブッダの言葉は、とても重要な意味をもっているように思われます。

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