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きょうのことば

きょうのことば - [2004年09月]

わたしは、一切の生きとし生けるものどもに対する暴力を抑制して、つねに立っています。

「わたしは、一切の生きとし生けるものどもに対する暴力を抑制して、つねに立っています。」
『テーラガーター』(『仏弟子の告白』岩波文庫p.171)

 昔、コーサラという国に、アングリマーラという人がいました。彼は、青年の時、あるバラモンの弟子となりました。真面目で従順な彼には、何の罪もなかったにもかかわらず、師の妻の陰謀にはまってしまいました。そのために、彼は、師から「千人の人を殺害しなければ、本当のバラモンにはなれない。」と命ぜられました。

 彼は、師の命令に従って、千人の殺害を実行しようとしました。その名「アングリマーラ」は、「切った指でつくった輪をかけている者」という意味です。殺した人の指を切り落とし、それをつないで首飾りにするのですから、街中の人々はその残虐さに、恐れおののき、逃げ回っていました。

 殺し続けて、やがて一本の指が足りないことに気づいた彼は、母を殺して指の数を満たそうとしました。そこに、釈尊が現われました。そのため、彼は、殺す相手を切り替えることにしました。しかし、剣を抜いて釈尊に切り掛かろうとしても、釈尊の姿は遠ざかるばかりであったといいます。アングリマーラが、「立ち止まれ」と叫んだ時、釈尊は、「私は立ち止まっているが、あなたは立ち止まっていない」と答えました。

 アングリマーラにとって遠ざかる釈尊は、「立ち止まっていない」はずです。それなのに、釈尊は「私は立ち止まっている」と言いました。また、逆に、「あなたは立ち止まっていない」と言われたのですから、アングリマーラには、何を言われているのかがわからなかったのです。

 そのアングリマーラに答えたのが、上に掲げた釈尊の言葉です。釈尊自身は、一切の「生きとし生けるものども」つまり、あらゆるいのちに対して、暴力を抑制してつねに立ち止まっているというのです。しかし、いのちに危害を加え、暴力を抑制できないアングリマーラに対しては、「立ち止まっていない」と指摘したのです。最後の一人を殺して千人に達すれば、本当のバラモンになれると思い込んでいた彼には、釈尊の教えは鋭く響いたようです。これによって、アングリマーラは、剣を捨てて釈尊の弟子となりました。

 暴力こそが自分の使命だと思い込み、いのちの大切さを見失っていたアングリマーラに対して、釈尊は、生きとし生けるものに対する自身の姿勢を示すことで、「つねに立っている」生き方の大切さを教えようとしたのです。

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