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きょうのことば

きょうのことば - [2018年02月]

自分の無知を知り、疑問の余地を残すということ、これこそ最も重要なことである

「自分の無知を知り、疑問の余地を残すということ、これこそ最も重要なことである」
R.P.ファインマン(『困ります,ファインマンさん』 岩波書店 334頁)

  ファインマン(1918 – 1988)はアメリカの物理学者で、量子電磁力学をはじめとする分野で大きな業績を残し、1965年にはノーベル物理学賞を受賞しました。彼はユーモアに富んだ人物としても知られ、回顧録『ご冗談でしょう、ファインマンさん』や標題のことばが収められた『困ります、ファインマンさん』では、ユーモラスなエピソードが数多く語られています。標題のことばは、この本に収録された「科学の価値とは何か」という文章の中に登場します。

  ファインマンはここで、科学の価値として3つの点を挙げています。ひとつは、科学の知識によっていろいろなことができ、さまざまなものをつくることができるという実用面での価値、つぎに、知識が深まるということが人に驚きや喜び、感動を与えるという点です。そして、彼が科学の第3の価値として述べているのが、科学を通して人は自らの無知や懐疑、迷いといったものに突き当たる、ということの重要性です。標題のことばは、科学のもつこの3つ目の価値を述べたものです。

  科学の理論というものは、問題に対して絶対的な正解を与えるものだと思っている人は少なくありません。しかし、絶対的な確実性をもつ理論などというものはなく、あらゆる理論は何らかの疑問にさらされ、そこから新しい理論が生まれるということを繰り返すことで、科学は発展を続けてきました。科学者はこのことに慣れっこになっていて、確信がもてないということを否定的には考えず、むしろ「疑いを抱くことの自由」を重要なことと考えます。

  ものごとを判断するとき、わからないことがあると、人は不安を感じるものでしょう。そんなとき、明解なことばで解答を与えてくれる人、あるいはそのような理論は魅力的に感じられるかもしれません。しかし、そういった人や理論に対し、絶対的な権威として依存してしまうのはとても危険なことでもあります。まず、そういう解答を与えてくれる人や理論が絶対に確実であるという保証などないのです。そして、そういった人や理論への疑いをやめてしまうと、もはや新しい考えを生み出すことができなくなってしまいます。

  正解を知らなくても、別に困ることはないのです。自分が無知であるということを認め、自由な思索を行うことから、進歩が生まれるのです。このことを実感したファインマンは、懐疑、迷い、自由の重要さを伝えることが科学者としての社会に対する責務だと考えていたのです。

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