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きょうのことば

きょうのことば - [2017年09月]

現実に存在するのは違いだけである。われわれは一人一人が違う。

「現実に存在するのは違いだけである。われわれは一人一人が違う。」
アイザック・アシモフ(『存在しなかった惑星』早川書房 268頁)

 アイザック・アシモフ(1920–1992)はアメリカの作家で、特に『われはロボット』『ファウンデーション』といったSF作品の著者として知られています。また、一般向けの科学エッセイも多く執筆しており、科学をはじめとしたさまざまな学問分野の話題についてユーモアを交えた明快なことばで語り、社会的なことがらに対しては人道主義の立場からの発言を行いました。標題のことばは、そのようなエッセイ集のひとつである『存在しなかった惑星』に収録された「考えることを考える」というエッセイの中に書かれています。

 このエッセイでは、「黒人のIQ(知能指数)は白人に比べて低い」というような言い方で、人種差別がさも「科学的」に正当であるかのように主張することに対して、アシモフは痛烈に批判しています。IQ(知能指数)のような指標は、人間の知的能力を客観的に測定したものだと思われがちです。しかし実際には、知能テストを作成する人の主観や、属する社会集団の文化に依存する部分が大きいのです。たとえば、テストでは国語の授業で教えられるような言い回しを使いこなすことが評価につながる一方で、俗語の使い方が上手だとしても、評価はされないでしょう。社会の支配的な立場の人たちの基準でテストが作られ、それを通過した人たちが支配的な立場となり、さらにその人たちがまたテストを作るという「循環論法」あるいは「自己存続的なしくみ」によって知能が判定されると、アシモフは指摘しています。

 さらに、アメリカのような白人中心の社会で逆に「黒人のIQが白人より高い」という結果が出たとしても、黒人に特権的地位を与えるということにはならないでしょう。結局、知能にせよ他の能力にせよ、その優劣によって人種やその他の集団の優劣を論じることは、意味がなく、せいぜい差別の口実として使われるだけなのです。

 結局、人間の能力は、個人を論じる場合にだけ意味を持ちます。しかし、ある個人がある能力についてある集団のなかで優っているとしても、別の能力では、あるいは別の集団のなかでは劣っているかもしれません。ですから、人種や集団だけではなく、個人についても「優劣」を論じることには意味がなく、じつは「違い」だけがあるのです。このことを語っているのが標題のことばです。

 このことばの後で、アシモフは「この違いこそ人類の栄光であり、おそらくは最大の救いなのである」と述べています。一人一人の能力にはそれぞれ違いがあり、できること、できないことは一人一人違います。その違いがあるからこそ、一人一人の存在にはかけがえのない価値があるのです。

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