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きょうのことば

きょうのことば - [2019年05月]

人間の頭で考え尽したものよりも大きいものがこの国にはある

「人間の頭で考え尽したものよりも大きいものがこの国にはある」
須賀敦子(『須賀敦子全集』 別巻[対談・鼎談篇] 河出書房新社 13頁)

 標題のことばは、作家の須賀敦子(1929-1998)がある対談で語ったものです。若くして単身ヨーロッパに渡った須賀は、イタリアで長く生活しました。彼女はキリスト教カトリックへの深い信仰を持ちながらも、それにどっぷりと浸かることなく、自らの宗教に対して厳しい、ある意味で批判的とも言える視線を持ち続けます。その須賀がイタリアでの日々について文章を書き始めたのは50代半ば、帰国後じつに15年近くも経ってからのことでした。その文章は平明ながらもきわめて知的に構築されたもので、熟成した酒のような味わいがあり、書かれている内容とともに読む人々を驚かせました。

 さて、この「人間の頭で考え尽したものよりも大きいものがこの国にはある」ということばは、イタリアに残る古代ローマの建築物に触れたものです。須賀は最初にフランスへ行きますが、そこに馴染めず、イタリアではじめて「ああ、この国なら自分の根が下ろせる」と感じたといいます。そのイタリア・ローマの建築物をフランスと比べて、彼女は「古代の建築というのは、フランスの建物のように隅々まで頭脳的に考えられているのと違って神経質ではないですから」とも語っています。しかし、これはよく考えてみるととても不思議なことです。

 何かを作る時、私たちは普通それを計画的に作ります。たとえばこの文章もそうです。「こんなことを書こう」と決め、それに沿って計画を立てて書きます。そこに意図せぬものが入り込むことは、通常は「思うようにならない/下手になる」ということでしかありません。ところが、須賀がここで述べているのはそうではない別の可能性です。それは「人間の頭で考え尽したものよりも大きいもの」が人の制作にふと入り込み、それによってある制作物が不思議な美しさや暖かさをもつ可能性です。

 こうしたことはどのようにして起こるのでしょう。それを言うのは、これがそもそも「人が考えうる事柄を超えた」不可思議な出来事である以上、とても難しいことです。しかし、そこにはきっと何らかの「謙虚」がなくてはならないでしょう。「人事を尽くして天命を待つ」という言い方がありますが、私たちが精一杯の力を尽くした上で謙虚に何かを待つ時、ひょっとしたらそこに私たちの力を超える何かが入り込む余地が生じるのかもしれません。それは私たちが行うあらゆることについて言えるでしょう。私たちの世界は私たちだけで終わるものではなく、より大きいものに包まれていることを、このことばは教えています。

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