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人間・清沢満之シリーズ

人間・清沢満之シリーズ - [04]

順風満帆

「順風満帆」
村山 保史(准教授 哲学)

 大学の学友には、後に文部大臣や京都大学総長となった岡田良平(おかだりょうへい)、京都大学等の総長になった沢柳政太郎(さわやなぎまさたろう)、国語学者になった上田万年(うえだかずとし)らがいた。彼らとともに、若者らしく、清沢はよく遊びよく学んでいる。

 現物と直(じか)に接することを好んだから、ときに旅行に出かけた。富士登山の記録等が残っている。一方で、想像(構想)力を要する文芸や歴史は不得手であった。酒は体質的に飲めず、犬を怖がった。

 餅や菓子が好きであった。ある嵐の夜、寄宿舎生たちは退屈しのぎに菓子を買いに行くことにした。抽選に負けた清沢が濡れ鼠で買ってきた。学業では誰も及ばず、また年長ゆえに長老格であったが、年上だからと言い訳をするでもなく約束を果たしたのである。

 なにより好んだのは人と話すことであった。議論はめっぽう強い。議論に負けて癇癪(かんしゃく)をおこした沢柳が清沢の耳を引っ張って寄宿舎の机の周りを連れ歩いたことがあったという。ぶつかり合った沢柳とは無二の親友となった。

 哲学科の教師の主力は外国人であった。E・F・フェノロサの講義に続きG・W・ノックスから哲学(ロッツェ哲学)と倫理学(プラトンとスピノザ哲学中心)を、L・ブッセからは哲学(古代哲学)や審美学(美学)等を受講している。

 大学時代に最も面白かったと語ったのは、ヘーゲルとスペンサーの哲学を融合しようとしたフェノロサの講義であり、書物ではJ・W・ドレイパーのA History of the Intellectual Development of Europe(『ヨーロッパの知的発展史』)であった。世界が有機体(生物)の組織のような全体構造をもつこと。生物が進化し発達するように世界や、世界の一部分である人間の意識も発展すること。二つのことを清沢は学んだ。

 1887年7月、24歳になった清沢は大学を卒業し、続けて大学院で学びつつ哲学館(東洋大学の前身)や第一高等(中)学校で教えている。給料を得て本郷に居を構え、両親を迎えた。母タキは髪を切って上京した。立派になった息子の仏弟子になろうとしたのであろう。清沢の前には、大学に残るか文部官僚になるかの道が開けている。順風満帆であった。

(『文藝春秋』2013年8月号)

※8月に発売される『文藝春秋』2013年9月号のタイトルは「実験」です。

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