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人間・清沢満之シリーズ

人間・清沢満之シリーズ - [01]

精神の条路

「精神の条路」
村山 保史(准教授 哲学)

 JR大塚駅から明治通りへ向かって都道をしばらく歩くと、宮仲公園と呼ばれる広場がある。もとは子どものための公園として地区住民から寄付されたものらしい。現在は、催し物が行われる地域の広場としても開放されている。

 公園の一角には石碑が建っており、1901年10月に巣鴨村の宮仲と呼ばれたその地に大学が開校され、多くの青年が学んだことを伝えている。しかし、かつて大学周辺に広がっていた畑地はすでにマンションや商業施設にかわり、往時を偲ばせるものはほとんど残っていない。いま、そこに大学があったことを知る者は多くないであろう。公園の前の交差点をトラックがせわしなく通り過ぎて行く。

 ここで取り上げようとするのは、宮仲に開校された真宗大学(大谷大学の前身)の初代学長でもあった人物、清沢満之(きよざわまんし)の思想である。

 じつをいうと、大学が開校して2年を経ずに清沢はこの世を去っている。40年に満たないその短い生涯は多方面への振り幅をもったものであり、清沢の膝下にあった仏教者、暁烏敏(あけがらすはや)でさえ、ひとりでは「先生の伝記は書けない」と嘆息したほどである。清沢が全幅の信頼を寄せ、主幹として大学の実質的運営を一任した関根仁応(せきねにんのう)は、清沢を「多角形的のお方」と評した。清沢を語るにはさまざまな視点が必要だというのであろう。

 このように評価の定点を容易には与えない清沢であるが、その思想の重要な表現として「精神主義」をあげることは不当ではあるまい。清沢は精神主義を「立脚地を得たる精神の発達する条路(じょうろ)<筋道>」とする。じつに精神主義とはひとつの過程であり、ときには停滞を含みつつもなにかに向かう精神の発達プロセスの全体なのである。

 立脚地は、その上であれば人が安んじて生き、安んじて死ぬことのできる礎(いしずえ)を指す。精神はひとりの人間であり、例えば清沢その人である。この意味においては、精神の条路とは、立脚地を得た人間としての清沢の生涯にほかならない。

 これより12回、1年にわたって清沢満之という精神の条路をあとづけることにしたい。

(『文藝春秋』2013年5月号)

※5月に発売される『文藝春秋』2013年6月号のタイトルは「転換期」です。

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