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今という時間

今という時間 - [246]

「筑豊の旅から」
松村 尚子(まつむら なおこ)

 筑豊と博多方面とを結ぶ八木山峠。かつて数多くの逃走炭坑夫らの血と涙と恐怖を飲み込んだ険しい山道は、いまでは滑らかに舗装されて時の推移を告げていた。
 五木寛之作『青春の門』に触発された訳ではないが、初夏の一日、筑豊地方を訪ねた。飯塚、田川、直方など、幾つもの市町村にまたがって点在した炭坑の跡地を見ておきたかったからである。
 まさしく百聞は一見に如かず。実際に足で歩くと、そこかしこに想像を超える光景が広がっていた。採炭地に特有のボタ山は、真っ黒のピラミッド状の小山と思いきや、多くは鮮やかな若葉に覆われ、あるいは平たく削られて小高い住宅団地に様変わりしていた。露天掘り坑のあった地域には、濁った水を湛える巨大な池が残っていた。これが音に聞こえた筑豊炭田かと、眼に映るものことごとくに感じ入ったが、最も心痛んだのは、朝鮮半島出身の炭坑労働者とその家族の苛酷な生き様、働き様を見守り続けてきたであろう炭坑住宅いわゆる炭住の、今まさに廃墟と化しつつある無残な姿であった。
 明治の操業開始以来120年余、その間わが国の戦前・戦中の近代化・工業化の支柱であった石炭産業の灯は消えた。“あんまり煙突が高いので さぞやお月さん煙たかろ”と歌う炭坑節は、今や完全に「懐メロ」である。とはいえ、竹島、靖国、歴史認識等を巡り、昨今とみに冷え込んだ日韓関係の再構築に関しても、近代日本発展の礎を担った筑豊を始めとする地域と人々についての具体的な史実を、失念してはなるまい。

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