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今という時間

今という時間 - [243]

「高齢者医療の現場で」
松村 尚子(まつむら なおこ)

 先日、仕事の合間を縫って九州の二つの病院を訪れた。入院中の母と姉の見舞いである。
 北九州市内の大病院で、6時間余の難手術に耐えて生還した姉は、ベッドに半身を起こして迎えてくれた。トイレや洗面所がこじんまり整った明るい個室で2時間ばかり、術後初めての歩行練習にも付き合った。常々あちこちが痛んで診療を受けていたというのに、これほどの血管障害がなぜ見過ごされてきたのか、執刀医も首を傾げたという。現代医療の威力と脆さを実感する思いだった。
 夕刻、母のいる隣県の病院に向かった。突然食欲を失い歩行困難を訴えた母は、往診した医師の勧めで即日入院となり、四人部屋の片隅に臥していた。半年前に比べると、すっかり面変わりし少し小さくなっていた。「要介護1」と認定され毎週のデイサービス通いを楽しんでいた母も、このまま入院が続けば正真正銘の“寝たきり老人”になるだろう。せめて車椅子が使えれば、心身に刺激を得ることもできるだろうが、小規模の私立病院にそのための空間的余裕はなさそうだった。
 現在母は長男夫婦と、姉は夫と、それぞれ同居しているが、すでに皆高齢者の仲間である。高齢化率50%の過疎地域で老いつつある彼らにとって、病人を見舞うだけでもかなりの負担である。次は誰が倒れるか、我ひとともに不安は尽きない。
 いま老いを支える医療の技量は進化しても、多くの病者とその家族の現実は、なお抜き差しならぬ難渋の中にある。

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