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今という時間

今という時間 - [173]

「助けることの意味」
蜂屋 良彦(はちや よしひこ)

 ほとんど自覚することはないのだが、他者を助けたつもりが実は他者をひどく傷つけていたり、病人を見舞ったつもりがかえって病人を傷つけ活力を失わせていたりすることがある。
 数年前、80歳を越えてほぼ寝たきりとなった母親の在宅介護を経験した。ある時、90歳を越える女性が手造りのショールを手土産に見舞ってくれたことがあった。その時母は「私はどうしてこんなになってしまったのか」と非常に落ち込み、その善意に満ちた女性をうらやんだのである。見舞われることによって逆に元気を無くすようであった。
 またある時、75歳で足の関節を病む女性が、足を引きずりながら見舞いに来てくれたことがある。そのとき周囲を驚かせる出来事が起こった。母は、今では不可能と思われていた着替えを一人で済ませ、その女性を先導して颯爽と外出したのである。「あの人は足がひどく痛むので、以前私の足をうまく治してくれたお医者さんに連れて行ってあげた」と語るその表情は生き生きと輝いていた。周囲の者は、普段の表情とのあまりの違いに大変驚いた。
 こんなことがあって、人を助けること、人に助けられることの意味をあらためて真剣に考えさせられた。人は助けられることによってときには最も大事なものを失うことがある。人を助けるときには相手の視点に立っての細かな心づかいが求められよう。

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