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今という時間

今という時間 - [158]

「『倫敦(ろんどん)塔』に学ぶ」
村瀬 順子(むらせ よりこ)

 今やロンドン随一の観光名所と化したロンドン塔。大勢の観光客で賑わう中で、私たちは、ともすれば、そこが、王室の居城であったと同時に多くの高位高官の人たちを幽閉し処刑した場所であったことを忘れてしまいがちだ。
 「倫敦塔の歴史は英国の歴史を煎じ詰めたものである」と夏目漱石は『倫敦塔』の中で書いている。彼は1900年秋、ロンドン到着後すぐにこの塔を訪れた。20世紀を軽蔑するかのように屹立する塔の威容に圧倒されつつ、漱石は塔内を巡った。逆賊門、血塔、処刑場跡——。英国の歴史と文化に通じた漱石の感受性豊かな目には、伯父リチャード三世に幽閉され殺された幼い二人の王子の姿や、政争の渦に巻き込まれ若い命を散らせた「九日間の女王」ジェイン・グレイの姿が浮かび上がる。
 今日の観光客の中で、王冠や宝石類を展示したジュエリーハウスに集まる人たちは数多いが、ビーチャム塔の壁に、かつて幽閉され死を待つばかりの人たちが爪の先で刻んだ数々の題辞や、片隅に小さく刻まれた「JANE」という文字を見て、遠く思いを馳せ、心打たれる人は何人いるだろう。
 漱石の『倫敦塔』は、歴史を現在と切り離された過去のものとしか見ず、すべてを娯楽に変えてしまう私たち現代人の麻痺した歴史感覚に衝撃を与え、ロンドン塔の真の姿に目を開かせてくれる。塔の本当の姿に気づく時、塔の見物は、上すべりの観光ではなく、歴史的感動を伴う学びの場となるだろう。

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