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今という時間

今という時間 - [138]

「儀礼としての卒業論文」
関口 敏美(せきぐち としみ)

 卒業論文「追い込み」の時期がやってきた。巷では「卒論」不要論もあるが、本学では必修単位である。
 以前大学説明会で、「卒業論文は私にも書けるものですか?」と質問され大いに面食らった。「卒論」が高校生にまでプレッシャーを与えていたことは意外な発見だった。
 その後観察したところでは、学生たちは結構マジで「卒論」を卒業前の試練とみなしているようだ。提出までは時間に追われ、ひたすら机に向かい、徹夜もする。家族から「こんなに勉強するのを初めて見た」と驚嘆された者もいる。
 当然できばえに差はあるものの、いずれも大学生活の締めくくりとして、「やるだけのことはやった」という達成感に満ちている。この点で「卒論」は、伝統社会の成人儀礼に似ているように思う。
 青年は、儀礼を通して試練に耐え、自らの知恵と勇気を証明しなければならない。いまどきの成人式はインパクトに欠ける。現代の大学生にとっては、一世一代の「卒論」作成が唯一の成人儀礼であるといえるのではないか。
 本を読まない学生が必要に迫られて読書したなら、一歩前進である。原稿用紙五十枚もの作文だって、おそらく最初で最後だろう。卒業までに、せめて一度位は必死で勉強する機会があってもよい。
 とはいえ一抹の寂しさもある。「追い込み」だからこそ可能かもしれないが、普段この勢いで勉強してくれたら、ゼミ発表も卒論も随分充実したものになる筈だが…。

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