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今という時間

今という時間 - [135]

「「何でも来い」の舞台裏」
関口 敏美(せきぐち としみ)

 知人が複雑な表情で語った。ゼミで課題を出すと、「何でも来い」と引き受ける熱心な学生がいる。インターネットが好きでどんどん検索するが、万事それで解決すると思っているらしい。危ない!危ない!云々。
 確かに、インターネットは重宝だ。わざわざ図書館に出かけなくても、パソコンに向かうだけで、多種多様な情報をすばやく入手できる。時には意外な発見もあるし、まさに「文明の利器」である。
 とはいえ、その学生の積極性がネット検索の便利さによるものだとしたら、手放しでは喜べまい。手軽に検索できるから「何でも来い」なのだろうけれど、調べたい事柄が常にヒットするとは限らない。「ネットで調べたけれどわからなかった」とでも言うのだろうか。
 便利なものほど使用上の注意が必要だ。ネット検索の便利さに慣れてしまうと、思わぬ 錯覚に陥りかねない。検索しただけで「わかったつもり」になったり、「キーワード主義」とでも呼べそうな視野狭窄を起こしたり。はては、〈インターネットで見つからないもの=この世に存在しないもの〉なんて思ってしまったり。こうした感覚が無意識のうちに増殖しているかもしれないのだ。
 知人は言う。地道に調べろとか、楽をするなとか、精神論を説く気はないが、「任せて下さい。調べときます。」という明るい声が空虚に聞こえるようになったとも。背筋にゾクッと来る話である。

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