今という時間 - [134]
「近所つきあい」
李 青(り せい)
母が来日したときに来客があった。母がお茶を用意してきたときには、お客さんは玄関先で用事を済ませて、すでに帰っていた。母は驚いて、「どうして、上がってもらわないの。失礼じゃないの」と言った。
こんなこともあった。帰国して両親と叔母の家を訪ねるとき、すでに日本の生活に慣れていた私は、「行くなら電話しておいたほうがいいね」と言った。両親は即座に、否定した。「そんなことしたら、ご馳走を用意しろと言っているようなもんだ」と。
日本では井戸端会議という言葉通りの光景をよく見かける。北京育ちの私には、来日当初は非常に奇異に思われた。「どうして家の中で話さないのだろう」と。
そう言えば、中国人は人間関係ばかりでなくあらゆる方面 において、形式よりも内容を重視する。日本人は形式が先にくる。例えば、日本人はブランド好きだ。それは製品の中身よりもブランドの名前に対する価値観(形式)が非常に強いからではないだろうか。
中国人は日本人のように見知らぬ人に広く浅く愛嬌をふりまくことはできない。だが、一旦友人になれば、日本人からすればやり過ぎと感じるほどの好意を示して相手を信じ切る。無論、お客さんに上がってもらい、お茶の一杯のもてなしをするのは日常茶飯事だ。
こうした人間関係の差異を理解してこそ(大変困難なことだが)、より良き隣人関係が構築できるのではなかろうか。