ここからサイトの主なメニューです

Home > 読むページ > 今という時間 > がらりと変わる

今という時間

今という時間 - [130]

「がらりと変わる」
河内 昭圓(かわち しょうえん)

 ひとを介してのはなしである。「蛻変」は由緒あることばかという質問を受けた。ある著名な財界人が講演などで劇的に変化するという意味に用いてよく使うそうである。問者はこのことばがいたく気に入り、これにならって自己が経営する法人の宣伝文句に使い、過去の印象を一新する具にしたいと考えているが、まずはことばの正当性を吟味しておく必要があるということらしい。聞き慣れないことばで当方も困惑したが、ちょっとやってみますかと調べの下請けを引き受けた。
 西晋の夏侯湛が書き、『文選』がこれを収める有名な「東方朔画賛一首并に序」に、「蝉蛻竜変」の語がある。「蝉のごとく蛻ぎ、竜のごとく変わる」と読む。東方朔は前漢に実在した文人政治家であるが、後世には伝説化して仙人の代表となった人物である。「蝉蛻」は綺麗さっぱりと変わる、「竜変」は大きくがらりと変わること。両語はともにさらにさかのぼった用例がいくらもあるから、これは熟した古典語でる。
 お尋ねの「蛻変」は「蝉蛻」・「竜変」のそれぞれ動詞の部分を抜き出して造語したものに違いないが、その用例を古典に見いだすことがむずかしい。ただし、ものごとの形や質が変化するの意に用いて近代知識人の文章にその使用例を見るから、現代中国語には確かに存在する。
 もっとも蝉蛻は蝉が殻から抜け出て飛び立つごとく、羽化飛翔して世俗を脱し、仙界に登るを原義とする。経済人が登仙を希求するとは考えにくいから、やはり劇的な変化に一層強い意味合いがあるのであろう。
 さて、選挙も終わった。一般に変化を待望する議論は常にあるが、一方でがらりと変わることを好まない気風が厳然と存在する。このごろ戦後民主主義を反省する議論が湧き出ているが、待った無しの蛻変を迫られている。

Home > 読むページ > 今という時間 > がらりと変わる

PAGE TOPに戻る

ここからサイトの主なメニューです