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今という時間

今という時間 - [122]

「書店は恐竜なのか、シーラカンスなのか?」
番場 寛(ばんば ひろし)

 京都の街並みも資本主義市場を反映して目まぐるしく変っている。人々の欲求や欲望の変化に対応できない店が淘汰され新しい店に変って行く様は、まるで環境の変化に適応できるものだけが生き延びるという進化の法則をまのあたりにしているかのような印象を受ける。
 京都でも大型書店の倒産や、撤退が続いているが、その様は環境に適応できなくて滅びていった恐竜やマンモスの断末魔を見ているような気さえする。しかしそんな中にあって、売り場の一角に売れ行きに全く無関係な文学書を並べている書店がある。そこだけは時間が止まったように見える。また交通 にも恵まれていない所に小さな書店がひっそりと奇跡のように存在している。文学書や思想書や人文系の学術書から漫画まであるのだが、驚くのは店主の主張が感じられる品揃えで、その書店に行けば、今、世の中で何が売れているかではなく、何が読まれていないかが分かるようになっている。
 「人恋しさウイルス」に感染した現代人は安易な特効薬を求めて、「携帯電話」や「電子メール」にすがる。それが携帯電話ショップを「繁殖」させ、街並みをも変えている。しかし本当に求められているのは、辛抱強く格闘するに値する言葉を秘めた本を売っているシーラカンスのような書店なのだと思う。

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