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今という時間

今という時間 - [099]

「大学生と「学び」」
関口 敏美(せきぐち としみ)

 4月、新入生を迎える季節だ。彼らにとって大学での「学び」とは、どんな意味を持つのだろうか。毎年、彼らに「義務教育とは、誰にとっての、誰に対する義務か」と質問する。意外と答えられない。そこで説明をすることになる。就学は戦前、国家に対する国民の義務として、親と子の双方に課された。しかし戦後は、まず親に、そして国や地方公共団体に、子どもの教育を受ける権利を保障するための義務が課された。
 学生たちは学校に行く義務だと思っていたと言う。これだけ学校教育が普及すると、教育が権利として保障されているとは感じにくいのかもしれない。みんなが行くから、ということだろうか。
 学習機会は広がったはずだが、学習意欲や進学動機はどうなっただろうか。学習機会の普及とは裏腹に学習の空洞化が生じている。この皮肉な状況を脱する手はじめとして、知識や学習のとらえ方を転換するというのはどうだろう。
 学習や理解に、教科書的な学習内容の取り込みだけではなく、学ぶ意味の実感と具体的な生活経験に照らした納得をも含めて、それを「学び」と呼ぶことにしよう。
 1たす1を理解するにも人それぞれに納得の仕方がある。知識も人それぞれの「知」の体系に位置づけられて習得される。「知」には“個人的”な側面 もあるのだ。
 こう考え直して、自分の「学び」の質を問い、「学び」を取り戻そう。そこに大学で学ぶ意味がある。

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