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今という時間

今という時間 - [091]

「ことば」
大河内 了義(おおこうち りょうぎ)

 ヨーロッパ世界にあっては、古代ギリシア人は人間を「ロゴス(ことば)を持つ生物」と定義したし、新約聖書にも「はじめにロゴスありき」とある。たしかにことばは人間存在を規定する不可欠の要素であり、人間はことばをもってお互いに交流する。
 ことばにはしかし逆にもう一つの面がある。それはことばによって思考や感覚や意志の発動の仕方が規定されるという面 だ。ことばが違えば考え方や行動のパターンも異なる。
 日本語人が愛を告白するとき「私はあなたを愛します」とは言わない。せいぜいのところ「愛しているよ」くらいだろう。「私は」も「あなたを」もない。英独仏など印欧語族にあっては単数1・2人称代名詞の形が数千年にわたってほぼ一定しているのに対して、日本語には人称代名詞はないに等しいし、「主語」概念すらないという学者もいる。
 いつでもどこでも、相手がいなくても、「私」は「私」であり「あなた」は「あなた」である印欧語に比して、日本語の場合、「われ」が自分を指すこともあれば相手を指すこともあるように、状況やコンテキストが発想の基礎になる。この現象は印欧語の文法からは理解できない。
 ことばのもつこの差異性をまず十分に自覚し、その上でそれを説明する(ことばでもって!)こと、それがことばの世界への日本語人の参加の仕方ではあるまいか。

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