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今という時間

今という時間 - [068]

「一人だけの劇場」
荒井 とみよ(あらい)

 年々歳々学生を送り迎えしていてさまざまな経験をする。強烈な印象を残して行く人、霞のように通 り過ぎる人、前者が忘れがたく後者がたちまち消え去るとはかぎらない。今年の場合、2例。  とにかく本を読んでいる。マニアックな読み方というのではなく、わたしなどと話題が共通 するのだからクラシックというべきだ。彼は入学の時に提出するカードの「目標」の項に「千冊読む」と簡潔に記入している。興味深いのは書いたことを全く覚えていないことである。また別 の彼女は不思議な文体を持っていて、レポートの中にさりげない家族の事情を点描する。暗い話なのに軽妙である。褒めるときょとんとして、今までそんな風に言われたことがない、誰もわたしに関心を示さなかったという。「誰も」とは教師の誰もということだ。
 初等中等教育の過程で、具体的には教室という空間で彼らは教師の強い視線を一度も浴びることなしにきたという点で共通 している。褒められもせず困らせもせず、ひっそりとしかし固有の表現を身に付けて、咲いてもあまり目立たない花。歳々年々花同じからず。そういう個性に出会う時、小さいドラマがわたしという観客の前で静かに演じられているような幻想に陥る。華やかではないが力みのない確かな演技、主人公は客席に一人の教師がいたのをいつか気付くだろうか。

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