今という時間 - [007]
「純喫茶の悲劇」
門脇 健(かどわき けん)
夕方から雨になったので、久しぶりにバスで帰途に着いた。何げなく外を眺めていると、曇った窓ガラスの向こうに“純喫茶”というネオンが夕闇のなかに静かに瞬いているのが見えた。一瞬うろたえてしまった。そこで議論された革命は、恋愛は、人生はどこへ消えてしまったのだろう。純粋だったあの頃の自分はどこへいってしまったのだろう。バスのなかの人いきれがいっそう重苦しく感じられた。
確かに、革命も、恋愛も、人生も挫折した。しかし、それは悲劇ではなく、あまりにも単純な論理で現実という巨大な怪物に突撃していったドン・キホーテ的な喜劇ではなかったか。挫折したのはその単純な論理であって、自分自身であろうとしたあの純粋さが敗北したわけではない。
ところが、あの悲惨な喜劇を忘れるために、純粋さそのものまで放棄するという本当の悲劇が起こってしまった。沢田研二が「時の過ぎ行くままに」と唄っていた頃である。
世の中は複雑だ。その世の中を渡ってゆくのに、単純な論理では太刀打ちできない。しかし、純粋であることはできる。それは、時の流れの中にあって、その流れに流されようとする自分自身に抵抗することである。あの純喫茶のネオンは、濁流に押し流されていることすらも忘れようとする私自身への警告灯だったのかもしれない。