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今という時間

今という時間 - [002]

「年号」
竺沙 雅章(ちくさ まさあき)

 平成になって7年、新しい年号にもなじんできた。年号を廃して西暦に一本化すべしとの意見も多いが、現実には、2つの紀年が併用されている。ただ、中国などの歴史学に携わる者は、どうしても年号を主としなければならない。
 紀元前 140年、漢の武帝が建元という年号を建ててから、清末の宣統に及ぶまで、中国ではほとんど間断なく年号が用いられてきた。明・清には一世一元、皇帝ごとに一つの年号となったが、それ以前には、祥瑞が降り災異が起こると、皇帝は改元して天意に順うことを願ったので、一代にいくつもの年号がつくられることになった。則天武后は在位21年間に18もの年号をつくった。年号は皇帝権の象徴であるから、それを用いることは皇帝への臣従を意味し、従わない者は独立して別の年号を建てた。もっとも、地方政権の年号などは、歴史書に記されないことが多い。例えば、シルクロードの高昌王国の年号は、墓から出土した文書によって初めて明らかになった。
 年号の数は、中国と日本をあわせると、優に1000を越え、とても覚えきれるものでないし、またその必要もない。しかし、天平とか元禄とかいうと、その時代のイメージが浮かんでくるものである。そうした年号の「個性」をつかむことは、歴史を学ぶ上には欠かせない。年号をして、時代の特色をあれこれとさぐっていくことは楽しいことである。

(東洋史学・教授)

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