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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [262]

開示

「開示」
木村 宣彰(きむら せんしょう)(学長・教授 仏教学)

 インド独立の父と崇められるマハトマ・ガンディーは、目と耳と口とを手で塞いだ三猿の像を常に持参し、人々に「悪を見るな、悪を聞くな、悪を言うな」と諭した。中国の孔子は「礼に非ざるものを視るな、聴くな、行なうな」と教えた。日本では、日光東照宮の「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿が有名である。いずれも世の悪事は知らない方がよいとの賢人の教訓であろう。
 確かに誇張された報道や誤った報道は有害無益である。人生の貴重な時間を誤報や風聞で振り回されたくないことも事実である。しかしながら、老後の支えと信頼していた年金制度がいつの間にか破綻していたり、老舗料亭で知らないうちに先客の食べ残しが出されていたりしては堪らない。昨今、このような嘆かわしいことがあまりにも多い。政府や企業などの組織体は、正しい情報を利害関係者に呈示しなくてはならない。大学もまた情報を開示し、関係者の〈知る権利〉を保護し意志決定を容易にするよう配慮している。このような情報公開制度を「ディスクロージャー」と呼んでいる。〈発覚〉〈露見〉を意味するディスクロージャー(disclosure)に「開示」の訳語を当てたのは絶妙である。
 そもそも「開示」とは、仏教経典が用いていた語である。例えば『法華経』では、仏の知見を開示し、悟らせ、仏道に入らせることが、仏がこの世に現われた目的と説いている。世の人々に真理や秘められていることを鮮明にするのが「開示」の意味である。親鸞の『教行信証』には「涅槃無上道を開示せしむ」とある。十七世紀に耶蘇会が刊行した『日葡辞典』は「Caiji.カイジ(開示)」の項目をあげ、「深遠な事柄を教授したり、説明したりすること。仏法語」と適切な解説をしている。
 仏の深遠な教えに耳を傾けず、噂や裏話ばかりを耳にし、世の動きを裏面から見て真っ当な努力を怠ってはならない。正しく事実を見て、聞いて、言うことが大事である。しかしながら、人間は喋れば必ずそこに自己弁護が入ってくる。結果として、他人の非を論うことになる。やはり、ガンディーの教訓に耳を傾けなくてはならないのであろうか。

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