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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [221]

月の兎

「月の兎」
神戸 和麿(かんべ かずまろ)(教授 真宗学)

 「兎、兎なにみて跳ねる十五夜お月さん見て跳ねる」——、そんな歌を子供の頃口ずさみ、また月のうすぐらい影は月の中で兎が餅をついている姿だよと教えられた。
 “月の兎”の物語は『今昔物語』巻五、また良寛はそれを万葉風の長歌にしている。その物語は、仏教思想の『ジャータカ』〔本生譚(ほんじょうたん)〕に由来している。ジャータカ物語とはお釈迦様が前世でウサギ、サル、また国王であっても先の世では“菩薩”であったことを表わしている話である。ジャータカ物語、ジャータカ図はインドでは紀元前一世紀頃に始まる。そして私たちは七世紀初めの頃の法隆寺の玉虫の厨子、『捨身飼虎図』、『雪山童子施身聞偈図』にてそのことを知る。
 “月の兎”の話は『今昔物語』では、「今は昔、天竺に兎・狐・猿、三(みつ)の獣ありて、共に誠の心を発(おこ)して菩薩の道(どう)を行ひけり。」と始まる。三匹の獣は身をやつした老人をみると、猿は木の実を拾い、狐は川原から魚をくわえ老人にささげた。ところが兎はあちこちを求め行けどもささげるものが何も見つからない。老人は何も持ってこない兎を見ると、「お前はほかの二人と心が違うな」となじった。兎はせつなく言う。猿に柴を刈ってきてくれ、狐にそれを焚いてくれと頼み、わが身を燃える火の中に投じささげた。捨身—、命を投じた慈悲行である。その時老人は、帝釈天となり、「此の兎の火に入たる形を月の中に移して、あまねく一切の衆生に見せしめむがために月の中に籠(こ)め給ひつ。然れば、月の面(おもて)に雲の様なる物のあるは此の兎の火に焼けたる煙なり、亦、月の中に兎の有るといふは此の兎の形なり。万(よろづ)の人、月を見むごとに此の兎の事思ひいづべし。」といったと示す。この話は、兎の捨身の心、慈悲行を物語っている。
 人間が月面着陸(一九六九年)して以来、そのような伝説、神話は忘れられているが、この宇宙、銀河系のなか、地球に生命のある不思議さはいろいろと話題になっている。以前に『物語と人間の科学』(河合隼雄著)を読んだことがある。ある科学者の言葉により「科学は生命科学ではなくて生命誌でなくてはならない」といわれていた。“月の兎”は何かいのちの背景の生命誌を語っていはしないか。

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