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2008年度新着一覧

2009/03/22

教育・心理学科開設記念シンポジウム
「子どもたちに伝えていくこと~大切なものを守るために~」

主 催 大谷大学・毎日新聞社
後 援 京都府・京都市・京都府教育委員会・京都市教育委員会
財団法人大学コンソーシアム京都

「命の実感」回復こそ使命

大谷大学が4月、文学部に「教育・心理学科」を開設することを記念した公開シンポジウム「子どもたちに伝えていくこと~大切なものを守るために」(大谷大学、毎日新聞社主催)が3月22日、京都市北区の同大学講堂で開かれた。公募に応じた受講者約150人を前に、エッセイスト・ジャーナリストの見城美枝子さんが「変わりゆく時代と子どもたち」と題して基調講演。見城さんと、同市立衣笠小学校前校長の三谷悦子さん、毎日新聞の池田知隆論説委員(大阪市教育委員会委員長)の3人が、子どもの変化や教育のあり方を巡ってパネル討議を繰り広げた。コーディネーターは同大学の水島見一教授。シンポは京都府・市、京都府・市教育委員会、大学コンソーシアム京都が後援した。

【高田茂弘】

人のきずなを考える学科に ~大谷大学学長 木村 宣彰

大谷大学学長 木村宣彰

新学科開設を前に一言申し上げます。私たちは、教育の根幹には「命」「きずな」「つながり」「思いやり」といったキーワードが必要と考えています。 先日の群馬県・高齢者施設の火災で、入居者の安否を尋ねる電話の問い合わせは1件だけ、という驚くべき報道がありました。肉親が無事かどうか、電話ではなく、何をおいても駆け付けるのが人間のありようではないでしょうか。新聞各紙の社説は主に福祉や行政や防災のあり方を巡って論じました。しかし私は、問われたのは「人と人のきずな」「人間の心の問題」ではないかと考えました。 そんな時代のただなか。新学科、そして本日のシンポでは皆さんと人間、そして教育について考えていければと期待しています。

基調講演 ~見城美枝子さん

見城美枝子さん

裸足の感触が大事

木村学長もあいさつで触れられた、群馬の高齢者施設の火災では、施設からの連絡に「縁切りしたのに、なぜ電話を」という反応があったと聞きます。戦争で大変な苦労をされ、戦後も懸命に働いてこられた、亡くなったお年寄りは「何という人生か」と嘆いておられることと思います。
日本は戦後の60余年でどう変わったのか。1945年の敗戦で無条件降伏し、米軍が駐留して指導を受けました。しかし、たった11年で経済復興を果たします。56年の経済白書は「もはや戦後ではない」と明記しました。敗戦で膨大な国費と多数の人材を失いましたが、10年余りで一気に再興したのです。
日本の昔ながらの朝食はご飯に卵焼き、魚、野菜入りのみそ汁とバランスが取れています。けれど戦後、アメリカ化が始まり、西(洋)高東(洋)低で、パンと紅茶の朝食が文化的に進んでいることになった。パンと紅茶だけなんて栄養上どうかと思いますが、米国風の生活様式として支持されました。

「お互い様」感覚

61年ごろからは「消費は美徳」です。お金を稼げばいい、という価値観の転換ですね。「アラフォー」(40歳前後)と呼ばれる女性たちはこのころの生まれ。69年にはGNP(国民総生産)が世界2位になり、一方で、公害白書が発行されるなど、経済重視に対する「負の側面」にも社会の目が向かいます。
大衆化で77年には「一億総中流化」と呼ばれる時代を迎えます。今は「格差社会」が指摘され、年収200万円以下が1000万人を超えるまでに格差が広がっています。
80年代半ばにバブルが始まり、90年代初めに崩壊します。続く「失われた10年」で金融の怖さは分かったはずなのに、近年また米国発の金融危機で世界不況になりました。
変遷の中で、昔は当たり前だった「お互い様」の感覚が弱くなりました。「禍福はあざなえる縄のごとし」と言われる人生の転変、それを互いに支え合う、または「向こう三軒両隣」の習慣が、いつしか消え去ったのではないでしょうか。

生身の接触を

今の20代は「たまごっち」世代です。あの携帯ゲームの特徴は、育てるタマゴは死んでも「リセット」できることですね。死んだものが生き返るというバーチャルな感覚が、生き物の「生死」「生き返り」は簡単だという錯覚をもたらした。ドイツで少年の銃乱射事件が起きました。被疑者の少年はテレビゲームの殺人モノが好きで、仮想と現実の境がなくなったという指摘があります。
一方、この世代を私は「コーティング世代」と名付けました。世間との接触を避け、ネット上の情報で自分をコーティングする世代。ネットでは対話したり、相手を批判したりできるのに、直接人と向き合えない、新たな若者の様子です。
携帯電話を持つ小学生は31%、中学生は58%、高校生は96%。ところが、携帯で通話する回数は減っている。メールは頻繁にやり取りするものの、声を出さなくなったということです。そして、携帯によるメール交換とネット接続で、子どもたちは危ないところにも入り込んでいます。
母として私が思うのは、子どもにはまず「生身の体験」をさせること。裸足の感触が大事です。地域の大人たちが小学校でボランティアをして子どもと触れ合うのも一案でしょう。お年寄りから赤ちゃんまで、異年齢の集団内で触れ合う「教育」が重要だと思います。

シンポジウム

水島

基調講演のキーワードは「ネット社会と子ども」。子どもが仮想世界に入り込み、現実感覚が希薄になっている。それを受け、見城さんは「裸足で大地を踏む教育」を強調された。

大谷大学講師 三谷悦子

三谷

子どもはネット社会にどっぷり漬かっている。現実と非現実の境が分からなくなっているようにも見える。意思疎通ができない児童もいる。自分の思いを伝えられず、やむなく手が出る、暴言を吐くという場面もある。
少子化のため大事にされ過ぎ、行動する前に大人の手が入る。自分で考えて行動することがなく、「自覚と責任」の感覚が身に着かない。例えば、登下校にボランティアが付き添い、子どもの荷物を持つことで、高学年が低学年の荷物を持つ体験ができなくなる。

池田知隆氏

池田

見城さんも私も戦後世代で、貧困の中から豊かになってきた体験を共有している。79年、共通1次試験が導入されて大学の序列化が進むなど、教育が変質し始めた。
ひずみは子どもの世界に表れる。予備校生が両親を殺す「金属バット事件」が80年に起きた。理想的な家庭における息苦しさへの抵抗が暴発につながったと考えられた。校内暴力、不登校なども問題化し、対策を取るほどに難題を奥に押しやった。教育上の対策が学校を過剰な監視社会に変え、それがいじめの多発を招いたという見方もある。
PTAは「親も一緒に学校を良くしよう」だったが、今は「ウチの子を学校からどう守るか」。学校は子どもにプラスだという学校信仰が壊れ始めた。

水島

お話からは子どもが置かれる状況のつらさが伝わった。失われたものをどう取り返し、補償するか。死んでもリセットで生き返るという錯覚の一方、社会に「死の感覚」が消えて久しい。

三谷

生きている物は必ず死ぬ。その実感を持てない子どもは多い。核家族化で死に直面することが減り、死の意味を考える機会が少なくなった。川のアマゴを手でつかみ、焼いて食べる体験学習をした。「生命」をいただくことの意味を教えたかったからだ。

大谷大学教授 水島見一

水島

子どもが「生」を実感できなくなった。この現状と戦後教育の関係について。

見城

私は一人娘で、家庭がそうだったように、社会に出て、誰もが自分を愛していると思っていたらそんなことはなく、ショックだった。どこか今の若者に似ている。
今の若者は人間関係を築くのが下手で、「疲れる」という若者の気持ちはよく分かる。私は上司からその「青さ」を鍛え直された。子育てでも間違いを母や叔母たちに注意されて「殻」が破れた。子ライオンは母ライオンのおっぱいを飲む時、つめを立てると投げ飛ばされることで、つめを引っ込める「掟(おきて)」を学ぶという。

水島

母ライオンのように、つめを立ててきたらはね返すのも教育の一種。一方、ネットなど、子どもの周囲にあるものを全否定することもできない。

池田

水槽で飼うオタマジャクシには小枝や石が必要だ。水だけではすぐに死ぬオタマジャクシも、小枝や石があって初めてカエルになれる。子どもにも小枝や石にあたるものを与えたい。

三谷

自尊感情の持てない子どもがいる。学校では、集団の中で自分は大切な存在だと実感できる取り組みを進めている。「有能感」を育てる教育が必要だ。子どもに寄り添い、思いを受け止める配慮が欠かせない。

水島

ネットの普及と共に、子どもたちは「生きている」という実感を意識することが少なくなった。必要なのは「命の実感」の回復だ。命には必ず死や挫折が伴う。本来的なその厳しさを踏まえた「実感」の再生が求められている。このシンポによって、新学科が果たすべき社会的使命を改めて確認させていただいたと思う。

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