博物館

開館記念特別展(出陳重要文化財)

出陳重要文化財

「化度寺故僧禅師舎利塔銘」拓本  宋拓本 貞観5(631)年 欧陽詢書

隋唐時代に流行した三階教の高僧、長安化度寺の僧禅師の舎利塔銘である。この碑銘は李百薬の撰文を初唐の欧陽詢が正書したもので、貞観5(631)年に終南山に建立されたが、原碑は南宋以後滅び、現存しない。
この碑の拓本は、宋代にいたり翻刻本が数種作られるが、本書は宋拓と見られるもので、かつて清の翁方綱が愛玩したものである。
その事跡を絶った三階教の詳細を知りうる史料であるばかりでなく、欧陽詢76歳の円熟した書風を伝え、加えて清朝文人諸家の題跋が無数に加えられており、碑拓の鑑賞がどのように行われたかを知るうえでも貴重な史料となっている。
大谷大学第13代学長であった大谷瑩誠氏の旧蔵であり、昭和43年4月、重要文化財に指定された。

「信行禅師興教之碑」拓本  宋拓本 神龍2(706)

三階教の開祖である隋の信行禅師の興教を頌した石碑の銘である。唐の太宗の子、越王貞が文章を作り、唐の四大書家の一人、薛稷が正書したものである。
この碑は神龍2(706)年8月に建てられ、宋代まで現存したらしいが、そののち佚して、その拓本の伝世も明らかではなかった。本館珍蔵のこの本は、清の何紹基が道光7(1827)年、河南の開封で発見入手したもので、海内の孤本として世に広く喧伝されることになった宋拓本である。
薛稷の書は_遂良とみまちがうほどの力量があったといわれるが、伝世の作品はきわめて少ない。この宋拓の信行禅師碑は、かれの力量を窺う本格的な書としてみるに足るものであり、唐代の書の変遷過程を如実に示すものとして、かれの唐代における書道史上の地位を窺うことができる最も貴重な拓本である。また帖の首尾に捺される多くの鑑蔵印は、清代名家の伝承のあとを知る史料ともなる。
大谷大学第13代学長であった大谷瑩誠氏の旧蔵であり、昭和43年4月、重要文化財に指定された。

『判比量論』残巻  奈良時代鈔本

『判比量論』は、唯識仏教の教理を述べた論書であり、新羅の元暁の撰述にかかる。早くから中国・日本の唯識・因明の諸著述に引用されていたが、原本は散佚して伝わらない。本書は、その残巻である。正倉院文書の記録によれば、本書は25紙から成っていたことが窺われるが、本書はその第4紙から第6紙にあたり、全体の8分の1に相当する。
紙背および識語部分に「内家私印」の朱方印があり、まさしく「紫微中台請留経目録」に載せる光明皇后の蔵品であったことが知られ、この鈔本は、皇后の亡くなられた天平宝字4(760)年以前に書写されたものであることが知られる。奈良時代の草書による遺品とされているが、本書には角筆による書き入れがあり、その研究から韓国で書写された可能性もあることが指摘されている。
残巻ではあるが、『判比量論』の内容がある程度まで窺える唯一の遺品として、唯識仏教の教学研究の上でも、また韓国の仏教史研究の上でも重要な意味を持っている。
元大谷大学教授・元京都国立博物館館長であった神田喜一郎氏の旧蔵であり、昭和63年6月、重要文化財に指定された。

『三教指帰注集』3巻4帖  長承2〜3(1133-4)年

空海の『三教指帰』には数家が注釈を施しているが、本書は釈成安の注釈書である。本書の奥書によれば、嚴寛が書写したことが知られるが、釈成安、嚴寛ともにその詳細な事跡は明らかではない。書写は長承2〜3(1133〜4)年に行われたことが記され、釈成安の注釈成立後およそ40年程度後のものであり、現存する『三教指帰』の注釈書の最古の書写本である。しかも釈成安注3巻の完本であり、貴重な資料である。
本書は全編にわたる訓点などから国語資料としても重要であるほか、現在散佚したと考えられている漢籍からの引用も多く、古佚文献研究においても重要である。
元大谷大学教授・図書館長であった山田文昭氏の旧蔵であり、平成8年5月、重要文化財に指定された。

『高野雑筆集』巻上・下   承安元(1171)年鈔本

『高野雑筆集』は、空海の遺文を集めた書簡集である。『遍照発揮性霊集』の補遺ということから『拾遺性霊集』とも称される。その編輯者および編輯時期は、今のところ明らかではない。内容は経論書写の援助を乞うもの、礼状、病気見舞いの書簡、弔書など72篇を収める。うち10篇は『性霊集』に所載されるなど他書と重複する部分もあるが、空海の人と思想を知るうえで貴重な文献である。
本館所蔵本は、巻首に捺される印記などから、栂尾高山寺に伝わった本であることが知られ、日本仏教史、漢文学史、国語史研究のうえからも資料的価値の高い古写本である。
元大谷大学教授・元京都国立博物館館長であった神田喜一郎氏の旧蔵であり、昭和63年6月、重要文化財に指定された。

『春記』  長久2(1041)年2月

参議藤原資房(1005〜1057)の日記である。資房は小野宮と称し、寛徳2(1045)年春宮権大夫を兼任、終生この職にあった。平安時代の貴族は、儀式・典礼などを誤りなく行いうるよう日記を多く残しているが、資房の日記はその官職により『春記』と称され、万寿3(1026)年から天喜2(1054)年までの29年間に及んでいる。自筆本は伝世しないが、その内の12年分、40巻の書写本が残存していることが知られている。本館所蔵のものは長久2(1041)年2月の条であるが、もと東寺に伝来し「東寺本」と称される平安末期書写の古写本である。
資房の記述は、公家日記としては異質とも言えるほど感情表現が豊かであり、人物評や事物に対する様々な批判など、注目すべき記事が多い。また、平安後期の10数年間は、この『春記』以外にまとまった記録が殆ど現存せず、資料的価値は極めて高い。
日記の紙背には、『大日経秘要鈔』の一部が書写されている。
元大谷大学教授・図書館長であった山田文昭氏の旧蔵であり、平成8年5月、重要文化財に指定された。

『撰択本願念仏集』  承元2(1208)年加点写本

源空(1133〜1212)が、阿弥陀仏の選択本願の行である念仏について経釈の要文を集め、浄土宗の立教開宗を宣言した書である。建久9(1198)年、九条兼実の請により撰述したと言われる。
本書の草稿本と見られる鎌倉初期の写本が京奥書はないが、本文の所々に朱筆が入っており、末尾にその朱と同筆による書き入れにより、承元2(都廬山寺に伝わり重要文化財に指定されている他、多くの古写本が存する。本館所蔵本は、直接の1208)年大谷寺御留之艸本によって加点した本であることが知られ、本文もその年もしくはそれ以前の書写本であることが確認できる。廬山寺本などと共に、極めて重要な古写本である。
表紙見返しに「十無盡院」の長方朱印記があり、栂尾高山寺に伝来した写本であることが知られる。
大谷大学第13代学長であった大谷瑩誠氏の旧蔵本である。