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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [311]

不請

「不請」
藤嶽 明信(教授 真宗学)

 「不請」とは、真に望まないで、いやいやながらするさま、というような意味がある。それゆえ、不承知であるが仕方なしにするさまを「不請不請(ふしょうぶしょう)」(不承不承・不祥不祥)と表したりする。

 振り返ってみると、人が生活をしていくうえにおいては、「不請不請」であるが、つまり自分の願い通りではないが行っていかなくてはならない、そんなことも結構ある。だから、つい溜息をもらしたりする。

 仏教のなかでは「不請の友」という言葉がよく知られている。『大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)』には、

  もろもろの庶類(しょるい)のために不請の友となる。

と説かれる。さまざまな人々のために進んで友となる、という意味である。仏や菩薩が衆生(しゅじょう)<生きとし生けるもの>を救うために、積極的にはたらきかけることを友にたとえていう言葉である。衆生の方から求めないのに、衆生の心を察して仏や菩薩の方から友となってくださるのである。仏や菩薩とはそのような存在であると説かれる。

 このように仏教のなかで説かれる「不請」とは、いやいやということではない。仏や菩薩が衆生に対して進んではたらきかけることを意味する言葉なのである。

 かつて卒業記念として、先生や友人に一言書いてもらうということが流行ったことがあった。これから社会に旅立っていく卒業生への思いを込めて、それぞれ一言ずつ記した。ある先生が「不請の友」と書き、横に自分の名前を添えられた。受け取った卒業生にとっては畏敬の念を抱く先生であった。その先生から自分の方へと注がれている暖かい眼差しによる言葉。それは人生の大きな支えになったであろう。

 自分の願いを実現することこそが人生だ。このように考えるならば、願い通りにならないことが多い人生とは、やりきれないものに違いなかろう。けれども「不請」という仏教語は、自分から願うという方向性とは全く逆の、自分の方へと注がれている眼差しやはたらきかけがあることを教えてくれている。そのことに気付くことができるならば、溜息の多い人生も、それまでとは違った見え方がしてくるのではないか。

(『文藝春秋』2012年9月号)

※9月に発行される『文藝春秋』10月号は、門脇健教授(哲学)による「アバター」です。

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