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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [318]

お彼岸

「お彼岸」
門脇 健(教授 哲学)

 仏教語としての「彼岸」は、煩悩の流れを超えた彼方の岸の涅槃の地、つまり悟りの境地を表す。しかし、「お」という接頭語が付いた「お彼岸」となると、春分、秋分の日を真ん中にしたそれぞれ七日間を指す。この期間に人々はお墓参りをしたり寺院での彼岸会(ひがんえ)にお参りしたり、『サザエさん』ではご先祖サマが出てきてお供え物をつまみ食いするカツオを叱ったりする。このように、「お彼岸」という習俗が仏教や故人と関係することに関しては国民的合意が成り立っているようである。しかし、なぜ春分や秋分の日の前後が「お彼岸」とされるのかについては、案外、はっきりしない。

 「お彼岸」は、インドや中国、朝鮮半島には見られない日本独自のものらしい。おそらく、夕日や夕焼けに対する日本土着の独特の感性と西方浄土の阿弥陀仏への信仰が重なって、このような習俗が形成されたのであろう。つまり、春分・秋分の前後の真西に沈む夕日に西方浄土の方角を確認するとともに、その浄土で阿弥陀仏に迎え入れられた故人を偲ぶと観念されるようになったのである。また、沈む夕日に自分自身のいのちの終わりをも重ね合わせ、いつしか阿弥陀さまや先に逝かれた親しい人々に「ご苦労さまでした」と迎えられる日を想うのである。

 六世紀の中国の僧・曇鸞(どんらん)は、皇帝から「なぜ阿弥陀仏の浄土は西方にあるか」と訊かれて「分からない」と答えたと伝えられる。仏教の教理からは導き出せないということであろう。それに対して、日本では西方に日が沈むように自分たちのいのちも沈み、そこで阿弥陀仏に迎え入れられると考えられたのだろう。そして、穏やかな夕焼けのように沈んでいきたいと願われたのであろう。

 しかし、そう願いながら夕日を眺める私たちはどこにいるのだろう。いのちの終わりを眺める視点は、ある意味では今の時を生きるいのちを超えている。「お彼岸」の夕日に我がいのちの終わりを想うとき、私たちは時の中に在りつつ、時を生きる限られたいのちを超えている。インド語由来の「阿弥陀」には「無量寿」という漢訳がある。沈む夕日を眺める私たちは、その「無量寿」の場所にたたずんでいるのかもしれない。


(『文藝春秋』2013年4月号)

※今回をもちまして「生活の中の仏教用語」は終了となります。これまで長年ご愛読いただき、有難うございました。

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