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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [310]

肉眼

「肉眼」
織田 顕祐(教授 仏教学)

 先頃、本州では百数十年ぶりの金環食で、日本中が大いに沸いた。早朝にもかかわらず、テレビで女性アナウンサーが、「リング状の太陽が肉眼でもはっきりと確認できました」と絶叫していた。この時、アナウンサーは“にくがん”と発音していたが、仏教語では“にくげん”と言う。両者の意味に大きな違いはなく、私たちの身体に備わった、物を見る機能としての目のことである。

 ところで、先の日食では、当日の天気がずいぶん心配された。天気予報では、日食の時間帯に曇りが予想されていたからである。言うまでもないが、雲が太陽を遮ると日食を見ることができない。私たちは、自分の肉眼の力によって日食を見たと思っているが、考えてみれば偶然にも雲が遮らなかったことの方がずっと大きな条件だったのである。このように私たちの目は、遮るものがある時には物を見ることができない。肉眼とはそのような限られたものであるが、私たちはそれしか見る方法を知らないので、肉眼の力を過信して最上のものと考えている。

 ところが仏教では、物を見る力のうちで肉眼は最も能力の低いものであると説かれている。例えば、人を理解しようとする時、外見や肩書のみを見て決めつけては、真の人間性を見ることができない。それ故、外見に邪魔されずにその人の本性を見るためには、肉眼以上の力が必要になる。これを天眼(てんげん)と言う。これは外見を超えて、その中にある本質を見抜く力であるから、十分に修養を積んだ、酸いも甘いも嚙み分けることのできる人だけが持つことのできる力である。

 しかしその場合でも、天眼(てんげん)が見るのはこの世の常識が基準である。つまり判断する側とされる側は同じ地平に立っている。だとすれば、その基準そのものを問い直すような目がない限り、真に正しい物事の理解は得られないのではないだろうか。それで、第三の目としてあらゆるものを見通すとされる慧眼(えげん)、あるいはブッダの眼(まなこ)である仏眼(ぶつげん)が説かれるのである。

 私たちが物事を正しく見るためには、目の曇りだけが問題なのではない。見方それ自身の正しさを証するものが必要なのである。

(『文藝春秋』2012年8月号)

※8月に発行される『文藝春秋』9月号は、藤嶽明信教授(真宗学)による「不請(ふしょう)」です。

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