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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [303]

慚愧

「慚愧」
兵藤 一夫(教授 仏教学)

 大きな過ちを犯したり、恥ずべきことをしたときに、“ 慙愧(ざんき)(慚愧)に堪えない” と吐露することがある。自らの至らなさを心底恥じるのである。恥ずかしいという感情は、何か基準となるものがあって、それに照らして出てくるものである。その場合、私たちの基準となるのは、自分自身であったり世間(社会)であったりする。その結果として“こんなことをして自分に対して恥ずかしい”、“世間に対して恥ずかしい”との想いが起こるのである。

 仏教においても慚と愧は心のあり方の重要な一面として考えられている。仏教では、対象を認識する心の中核部分(心〈しん〉)とそれに付随して働く心の作用の部分(心所〈しんじょ〉)からなる総合体として心を捉える。「慚」とは自分自身と法(仏教の教え)に照らして自分がなした過ちを恥じると共に、有徳者や善なるものを尊重することである。「愧」とは世間(法律や慣習などの規範) に照らして自分がなした過ちを恥じると共に、悪行から離れることである。この慚と愧は一応は区別されるが、必ず相伴って生ずるとされる。そして、この二つは、心が善なるときは「精進」などの他の善の心の作用と共にいつも生じ、逆に心が不善(悪)のときは“恥じない想い”である「無慚」と「無愧」の二つが必ず生ずると考えられている。

 私たちは自我を根底とした煩悩にまみれて生きているので、さまざまな過ちを犯してしまう。しかし、日常の中ではなかなかそのことに気づかないばかりか、慢心さえ起こしてしまう。そして、大きな過ちをして初めて気づかされることになる。そうならないためにも、日常の自分の心の中にこの慚と愧を見いだし育むことが望まれる。

 特に、「慚」は自分自身のめざす真実に照らして、折々に自分を見つめ、現状の自分を恥じることにもなるので、「精進」や「不放逸(欲望のままに流されず本来為すべきことを為すこと)」と相俟って、私たちの心のあり様を向上させるものとなる。慚愧は、自分を萎縮させ世間から引き籠らせるようなものではなく、自分を成長させる原動力であるので、私たちは大いに慚愧すべきである。

(『文藝春秋』2012年1月号)

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