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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [287]

講師

「講師」
沙加戸 弘(教授 国文学)

 生涯学習の現代社会、分野公私を問わず講座・講演会は数多い。その講座・講演会の先生を、一般に講師と呼ぶ。また、大学の教員にも常勤・非常勤併せて講師職がある。また一方、さまざまな宗教団体あるいは芸能・芸術の流派組織の中にも講師の呼称はある。

 このように現代、分野を越えて一般化した講師の称であるが、この称はもと仏法の用語で、読んで字の如く「講」の「師」である。

 「講」とは、学徒が集まって経典や経典の論・釈を講読すること、あるいは信徒が集うて仏法を讃嘆し、祖徳を讃仰する衆会の意である。「講」は後に、本邦において霊山・名刹に参拝し、又奉加寄進をする目的の組織を意味する語ともなった。つまり「講」は、仏法攻究の衆会であった。

 この世に生を享けたものの普遍的な問は、私はどこから来たのか、私は何ものであるか、私はどこへ行くのか、に尽きる。してみれば、「我」を明らかにしようと学徒の集う衆会が仏法における「講」であった、ということになる。

 「講師」はもと国師と称し、文武天皇の大宝二年二月、諸国に国師が任命されたのがその濫觴である、とされる。諸国において僧尼を司り、経典の講説を勤める僧職である。

 延暦十四年、国師を講師と改称し、後には別に三会の講師を設けたとある。三会とは、平城京では宮中の金光明会・興福寺の維摩会・薬師寺の最勝会、平安京では法勝寺の大乗会・円宗寺の法華会・最勝会を言い、それぞれ『金光明最勝王経』・『維摩経』・諸大乗経典・『妙法蓮華経』を講説する法会である。

 時代が下るにつれ、その内容が形式化したと伝えられるが、熱い求道の心がその原点にあったことは疑う余地がない。

 要するに、「生きる」ということを明らかにしようと人の寄る場が「講」であった。「生き方」と「いのち」の真実を求めて議を論ずるとき、相手を「講師」と敬ったのである。あらゆる講の場は、目先の利益(りやく)にとどまるものではなく、普遍的な問につながらなければならないものである、と認識したい。

(『文藝春秋』2010年9月号)

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