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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [278]

律儀

「律儀」
沙加戸 弘(教授 国文学)

 現在は「りちぎ」の読みで、生活の中で礼儀や約束を固く守る実直なさまを表現することばとして、広く用いられている。

 しかしながら本来この語は、仏法を学ぶ者が、身の行いや口にすることば、あるいは意識においてあやまちを犯さないように自身を守ることを意味することばである。

 古くは中国で「擁護・防護」と訳されたが、自らを守るための具体的な定めをも指すようになり、法律儀則の意で律儀となった。

 我国でも、平安・鎌倉期には主に仏法の場において用いられ、「りつぎ」と読まれているが、これに新しい意味が付与されるのは室町期からである。

 文献として古いものは、中世末期日本に渡ってきたポルトガルのイエズス会所属の宣教師達が日本語修得のために編纂した『日葡辞書』である。室町時代語研究には第一級の資料であるが、これには「りつぎ・りちぎ」両様の読みが収載され、いずれも正直あるいは廉直である、という意味の訳が付されている。

 してみると、律儀の語は室町時代に寺院から出て、新たに「りちぎ」という読みが加わり、専ら実直なさまをあらわす語として一般社会に広まったと考えられる。

 この律儀が、仮名草子・浮世草子・浄瑠璃等、庶民に広く読まれるものの中に頻出するようになるのは近世の中期からである。

 井原西鶴の『日本永代蔵』には

男産付(うまれつき)ふとくたくましく 風俗律儀(りつぎ)に
とある。また、近松門左衛門の名作『冥途の飛脚』。なかなか届かない江戸為替の催促に訪れた丹波屋の八右衛門と、丁度帰りあわせた主人忠兵衛とを、飛脚問屋亀屋の後家妙閑が迎える。
母はりちぎ一遍に。さき程はお使、又御自身の御出(おいで) 。御尤御尤(ごもっとも)。
 以後現代まで、社会の日常語として使用され続けてきた。が、実態がなくなると消えるのがことばの宿命である。本来の意味はともかく、律儀は今人間の在り方をあらわす生活の中のことばとして、絶滅危惧種である、と言うと過言であろうか。

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