生活の中の仏教用語 - [266]
「普請」
沙加戸 弘(国文学 教授)
今もなお舞台生命を保つ近松門左衛門の名作『冥途の飛脚』。その下之巻「新口村の段」において、罪を犯し恋人と共に故郷に戻ってきた実子忠兵衛を追手から逃がすため、老父孫右衛門は忠兵衛の恋人梅川に路銀にせよと銀一枚を手渡す。
これは難波の御坊の御普請の奉加銀 —中略— これを路銭に御所街道へかゝつて一足も早う退(の)かつしやれ。「難波の御坊」は今言う大阪の南御堂で、これは御堂再建のため、多くの人が合力する意で使われた「普請」の用例である。
普請は字の如く「普く 請う」という語で、禅宗の寺院において、仏誕生会即ち花祭の花摘をはじめ、書籍の虫干、茶摘、歳末の大掃除等、広く人々に請い、作務労役を依頼すること、あるいは院内の修行者が総出で労役に従うことの意であった。
唐の末から宋にかけての頃、禅宗寺院で多く用いられたことは『大宋僧史略』巻上「別立禅居」の条に、
共に作すはこれ普請と謂うとあることや、普請の「しん」の音が唐宋音であることから察せられる。
この語が我国においても奈良平安の頃から、仏閣神閣の作事、また道路・架橋工事など、住民総出で行う公共事業や共同作業の意に用いられるようになり、さらに進んで土木工事そのものにも使われ、家普請等建築工事一般にまで広がって現在に至っている。
中世には既に御所などの造営にも普請の語が使用されるようになっていたことが『御湯殿上日記』等で確認できるが、冒頭『冥途の飛脚』の例は、仏閣再建である点と、銀ではあるが多くの人々の合力という点でかなり色濃く原義を残していると言えよう。
近世後期になっても、山片蟠桃の『夢の代』に、
普請はあまねくこうと書けば、とある。「多くの人の合力を請う」という普請の原義を、社会活動等多くの場面で見直す時であろうか。
人をたのみて手伝を受るなり。
—中略— 大工日雇を雇ひて
造作するはこれ建立なり、普請にあらず。