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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [264]

菩薩行

「菩薩行」
Robert F. Rhodes(仏教学 教授)

 日本の大学で教鞭を取るようになって十六年が過ぎましたが、今でも不思議に思うことが多くあります。たとえば授業中、学生たちに「質問はありますか」と聞くと、皆いっせいに黙って、私と眼が合わないように下を向きます。アメリカの学生と違い、日本の学生はどうも授業で目立った振る舞いをすべきではないと無意識のうちに教え込まれているようです。
 そのような学生たちに、私はいつも「質問することは菩薩行ですよ」と言っています。
 そもそも菩薩とは、サンスクリットのbodhisattvaを音写した「菩提薩(ボダイサッタ)」を省略した言葉で、その意味は「悟り(菩提、bodhi)を求める衆生(薩、sattva)」といわれています。一般的に菩薩といえば観音菩薩や地蔵菩薩などを思い浮かべますが、最高の悟りを獲得しようと願う心を起こした人は、実はみな菩薩なのです。経典には身命までも惜しまず、悟りを求めて勇猛に修行する菩薩の姿が多く描かれています。しかし菩薩にはもう一つ重要な特徴があります。それは、決して自分だけが悟ればよいとは考えず、全ての衆生が悟りを得るまで自分も悟りを得ないと誓を立てるということです。一切衆生と共に悟りを目指し、一人残らず平等に悟りを獲得するまで修行の歩みを続ける—この心構えこそ、菩薩行の根底に流れている精神なのです。
 目立つことを極端に嫌う学生たちは、分からないことがあっても、決して質問しようとしません。しかし授業中に注目されることの恥ずかしさを克服して、思い切って質問すれば、自分の疑問がはれるばかりか、クラス全員の知識や理解度もレベルアップすることができます。質問することによって、自分が学問的に成長するだけでなく、皆も共に成長する機会を作りだすことになるのです。これは、すべての人と共に学び、共に歩み、共に成長することを目指す菩薩行の精神そのものです。
 そして、このような菩薩行の精神こそ、人と人の絆が希薄になり、毎日のように凶悪犯罪や無差別殺人などが起こっている今の日本に、最も必要とされているのではないでしょうか。

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