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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [263]

声明

「声明」
沙加戸 弘(国文学 教授)

 「声明(しょうみょう)」は五明の一つである。五明とは、仏教の学における声明(言語学・文学)・工巧明(工芸技術・算法暦法)・医方明(医学)・因明(論理学)・内明(哲学・仏教学)の五領域を言う。明は「究明」の義で、現代のことばにすれば「学」に相当する。
 声明を五明の中の第一とするについては、

一切の教法は皆文字を待て宣説す。もし文字を離るれば教を起すに由なし。(『空海奏状』)
とあるように、文字や文法あるいは訓読等、文献の学が根本である、との認識があったからである。従って声明は、古代インドの言語であるサンスクリット(梵語)研究がその本義であった。
 同時に声明は、梵語の偈頌等を諷誦吟詠して仏徳を讃嘆する梵唄(ぼんばい)をも意味したが、中国における梵語研究の難しさからであろうか、次第に梵唄のみを意味するようになった。
 さらに、漢文による仏徳讃嘆のための偈頌諷誦をも声明と称するようになり、それを受けて我国では、「天台声明」「真言声明」の如く、仏徳讃嘆のための仏教音楽、の意に使用されることとなったのである。
 一方、同じ字を書く「声明(せいめい)」の語は、中国において唐代から用例がみられ、「広く伝える」あるいは「明らかに説く、明言する」の意で用いられてきたが、我国でこの語が「あることがらについての考えや意見などを発表すること、またその内容」という意味で用いられるようになるのは二十世紀を迎えてからである。
 篠野乙次郎の『英和外交商業字彙』(一九〇〇年)に「アナウンス」の訳語として
公布スル、声明スル
とあるのがその早い例であろうか。
 現代の国際化した社会では、国際会議のまとめとして発表される「共同声明」、あるいは政府や機関の見解を伝える「公式声明」等、政治・経済における重要語のひとつとなっている。
 しかしながら、「声明(しょうみょう)」「声明(せいめい)」ともに、決して儀礼やかたちが本義ではないこと、論ずるまでもない。

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