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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [245]

寺

「寺」
中川 皓三郎(なかがわ こうざぶろう)(真宗学 教授)

 「オウム真理教」(現在はアーレフと改称)の人たちが大きな事件を起こし、社会的な問題になっていたとき、「日本の寺は風景でしかなかった」というオウム信者の言葉が大きく取り上げられたことがあった。日本に存在する多くの寺が、その存在理由を失っているという批判であろう。では、寺とはどのような存在なのであろうか。
 寺という文字を音で「ジ」と読むとき、その意味は、漢和辞典によると「宮中の役人のいる所、役所」である。中国では、寺は、国家の法がそこを通して具体的にはたらく場所のことで、たとえば、鴻臚寺(こうろじ)と言えば外務省のことである。
 この寺という言葉が、仏教と深い関わりを持つ言葉になるのは、漢の時代のことである。二人の僧侶によって、西域より経典が白馬にのせられやってきて、鴻臚寺に止まることになった。そのことをきっかけに、僧侶を住まわせ、その経典を安置するために、新しく白馬寺が建てられた。それ以来、仏教に関わる建物が寺と呼ばれるようになったと言われる。だから、寺は、ブッダの教えがそこを通してはたらく場所という意味である。
 また、寺という文字が、訓で「テラ」と読まれるとき、それは朝鮮の言葉チョルの転訛であると言われる。意味は「お辞儀、会釈、拝むこと」である。すなわち、寺は、礼拝の行われる場所ということである。そのことを本尊を安置することによって示している。真実に目覚めたブッダが私たちに語りかける姿が、本尊であるのだが、その本尊に礼拝することによって、人間として真実に生きる道が教えられる場所、それが寺なのである。
 確かに、寺と聞けば、誰しも死に関わる葬式・法事等をイメージし、そこに何とも言えない暗さを感じるということがあるかも知れない。
 しかし、暗さを感ずるということは、死を受け入れることのできない私たちの迷いの姿である。だからこそ、ブッダの教えに学ぶことによって、迷いを翻さなければならないのである。寺は、決して風景などではなかったのである。

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