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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [244]

自然

「自然」
木村 宣彰(きむら せんしょう)(仏教学 教授)

 「春は名のみの風の寒さや」
 暦の上では春なのに寒い日々が続くとき、この「早春賦(そうしゅんふ)」の詞章を想い出す人は優れた感受性の持ち主である。今や人間は大自然に住まうのでなく、改造された人工環境の中で生活している。
 今日、私たちが「自然」と言う場合、山川草木や雨や風など、人間を取り巻く外的な環境のことを指す。そのような自然環境は人間に対立するものであり、自分たちに都合のよいように改造できるものと考えてきた。その結果、地球の温暖化や砂漠化、水や大気の汚染などの様々な問題を惹起した。どれもこれも人間の我が儘が原因である。人間は自然を支配しようとするが、自然は人間の支配の対象ではない。
 仏教では、自然を〈じねん〉と訓じて「自ら然る」という意味に解する。人間の作為のない「そのまま」の在り方が自然である。法(真理)が「そのまま」に顕現していることを示す法爾(ほうに)と自然とは同義語で、その両者を合わせて「自然法爾(じねんほうに)」「法爾自然(ほうにじねん)」という四字熟語ができた。
 浄土宗開祖の源空は、「法爾自然」を略して法然と号した。浄土真宗を開いた親鸞は、「自然法爾章(じねんほうにしょう)」と称する一文を認め、その中で「自然といふは、自はをのづからといふ、行者のはからひにあらず、然といふはしからしむといふことばなり」(『末燈鈔(まっとうしょう)』)と説いている。明恵はの、漢語「自然法爾」の意味を「阿留辺幾夜宇和」という和語で表わした。〈あるべきようは〉とは、しかるべき状態のことである。また「自然法爾」を〈身の程を知れ〉と言い換えた古人もあった。これらは「自然法爾」を人間の生き方になぞらえて表現したものである。
 明治以降、西洋語のネイチャー(nature)の翻訳語として「自然」が用いられる。この自然は人間と対置するものとされる。しかし仏教が説いているように、人間は自然を超えた存在ではなく自然の一部である。その人間が思い上がって科学技術を駆使して自然を破壊する。一方で、意匠を凝らした盆栽や日本庭園に人工の自然を見いだそうとしているのは、何と考えたらよいのだろうか。

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