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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [223]

自由

「自由」
木村 宣彰(きむら せんしょう)(教授 仏教学)

 人間とは面倒なものである。
 日頃は、自由に振る舞いたいと思っていても、いざ「どうぞ、ご自由に」と言われると、さて何をしてよいのやら分からなくなる。現代では息子や娘が必ずしも<家>を継がなくてもよい。個性を活かして自由に職業を選択しなさいと言われる。すると自分のしたいことは何かに悩み、自分の個性や天職を求め続けていつまで経っても職に就けない。“自由”に生きることは難しい。
 やや旧聞に属するが、ブッシュ大統領は、再選後の演説で「自由のために戦うならば、アメリカはあなた方の味方だ」と語り、盛んに<恐怖からの自由>を強調した。このような“自由”は<○○からの自由>である。私たちも同じような意味で自由の語を使っている。文久二年(一八六二)に出た『英和対訳袖珍(しゅうちん)辞書』ではfreedomの訳語を「自由」としている。これは束縛や拘束からの自由である。
 仏教も“自由”の語を大切にするが、その意味は異なる。自由の「由」は<よる><もとづく>という意であるから他に由らず、独立して、自存すること、即ち<自らにもとづく><自らによる>ことが“自由”である。晩年のブッダは、弟子達に「自らをよりどころとし、他のものをよりどころとせずにあれ」と教えられた。我々の行動の判断は、自らに由るよりも、むしろ他の意見や権力によって支配されることが多い。そこには自由がない。だからブッダは「自らによれ」と教えられたのである。
 また仏教経典には「諸仏、各々自由にして端正殊妙」と説いている。これは悟りを得た仏や修行の進んだ菩薩が得るところの功徳としての“自由”である。悟った仏は何事にもとらわれないから真の<自由人>である。仏教経典には仏・如来であることの理由を「自由自在力を得るが故に」(『月燈三昧経』)と明かしている。
 人間は自由自在に自然を改造できるように思い上がって環境を破壊し、温暖化など、人類にとって極めて深刻な問題を惹起している。自由を追い求める現代人も、このあたりで仏の教えに耳を傾けようではないか。

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