生活の中の仏教用語 - [219]
「道教」
浅見 直一郎(あさみ なおいちろう)(助教授 東洋史)
有史以来、日本は中国からさまざまな制度・文物を取り入れてきた。その中には漢字・仏教・お茶など、今も私たちの生活に密着しているものも数多く含まれている。ただし、中国には存在したのに日本が取り入れなかったものがあることも忘れてはならない。
その例として、宦官・科挙制度などとともに、道教を挙げることができる。日本に道教の影響が全く見られないわけではないが、しかしそれは道教の構成要素が部分的に移入されたに過ぎず、教団組織も含めた体系的な導入はされなかった、と見るのが妥当であろう。今の日本に仏教系の大学は数多くあるが、道教系の大学というのは存在しないのである。
中国史上、道教は仏教のライバルであり、教義の面で、また社会的・政治的な勢力として、激しい抗争を繰り広げてきた。歴代王朝の政府は、ある時はその抗争を利用し、またある時は両者の均衡をとることに腐心したのである。これは、中国の仏教史が、日本のそれと大いに異なる点である。
ところで、この「道教」という言葉の歴史をたどっていくと、大変ややこしい事態に遭遇する。それは、この「道教」という言葉が、ほかならぬ仏教そのものを指して使われていた、という事実である。
浄土三部経の一つ『仏説無量寿経』に、釈尊の言葉として「今われ、この世において仏となり、経法を演説し、道教を宣布す。諸々の疑網を断ち……」と見えている。釈尊がいわゆる道教を宣布するはずはなく、ここの「道教」が仏教を意味することは明らかである。
このような用例は他の漢訳仏典の中にも見られるが、ここでの道とは仏の道、仏道であり、道教とは仏道の教えを意味している。
このような状況に変化が生じるのは五世紀、北魏の寇謙之(こうけんし)らによって道教が教義・組織の両面で整備された時期のことであり、以後仏道二教に時には儒教をも加えた論争の中で、しだいに現在の呼称が定着していったのであった。
中国の仏教史においては道教との抗争があると書いたが、それはこのような名称の争奪にも及んでいたのである。